中学の頃,中谷宇吉郎の「雪」を読んで「雪は天からの手紙」をいたく気に入って雪の結晶の研究をしたいと思った.大学の教養部にあった地文研究会の気象グループを再開して,志賀高原に雪のレプリカをとりに行ったり,夏に群馬大の寮に泊まって雷の音の録音にいったりして,ついでに気象研究所(当時は中央線沿線だったと思う)に行って話しを聞くと,気象学には数学が極めて重要であることを知り,大学に入って数学が急に判らなくなっていた自分には無理であることを悟り,その方面への進路は断念.高校の頃読んで感銘を受けた,「地球の科学」(竹内・上田)の大陸移動説でもやるかと,地質学科に進学した.地質の中では論理的に見えた岩石学をやることにして,結局,溶岩中の結晶から地下の手紙を読み取る仕事をしている訳で,まあ,天と地の違いはあるものの,結果的には似たりよったりです.気になるのは,雪の結晶の情報は生成後,大気の乱流によって拡散混合されてしまい,時間と位置の情報がほぼ消されているのと同様なことが,マグマ中の結晶についても生じている可能性が考えられることです.雲仙岳の場合などでは火道中のマグマのレイノルズ数は<1で層流のはずが,実際にはマグマ混合が生じていることが結晶組成から判ります.どうも火道中でマグマは発泡・脱ガスする過程で層流混合が生じているらしい(ココは火山学のフロンテイア).結局は流体力学ができないと地球現象は扱えない,という顛末でありました.結晶の生成条件を決めるために,広島から神戸へ移ってから50の手習で高圧実験を始めたが,流体力学は60の手習位でやっていきたいものです.まあ,世の中の進行はずっと早いので今後,学会に有用な寄与ができるわけではないですが...
(年寄りの冷や水)
ところで30年前の卒論では,四国北東部(五色台)の第三紀(約1400万年前)の火山岩の調査をしたのですが,それ以降,扱う材料は若干異なっても,問題意識としては今でも,この五色台の火山岩の成因と関連した問題を扱っています.例えば,五色台の溶岩は元々多量(>3%)の水を含んでいたマグマが,静かに流出し,最終的に殆ど水を含まず(サヌカイトで0.1wt.%以下)また発泡もしていないので,その脱ガス過程に興味が持たれますが,これは雲仙岳等の溶岩ドーム等の噴火についても同じ問題意識であたることができます.(3つ児の魂100までも)
なぜ第三紀の火山岩の岩石学から,第四紀の火山岩の研究にシフトしたか.金沢大学で長いこと助手をしていて,最初,岩石学実験という偏光顕微鏡の実習を1年間2単位分担当していたのですが,1982年頃に急に学科の実験・実習の再編がおこなわれ,岩石学実験は半年1単位ものに縮小されました.つまり,ぼやぼやしていると,旧来の手法は地球科学全体の中で占める位置がどんどん縮小されていくことを実感させられた.このことから思ったのは,「役に立つ岩石学」をやらねば生きていけない,ということ.役に立つというのは,「地球科学の他分野に影響を与える」といった意味です.差し当たり,火山学に役立つ岩石学をやりたい,と考えた.ちょうど,1985年に広島大学総合科学部に移る機会があり,そこには岩石学の設備は薄片作成の道具だけだったので,昔からやりたかった電気炉での1気圧溶融実験で火山現象に関係した実験をしようと考えた.1986年に伊豆大島で噴火があり,多分荒牧さんから声がかかって現地に1週間滞在して溶岩を観察・採取してその薄片をみて石基組織の多様性に気ついてその再現実験をおこないました.また,それと同時に国際深海掘削計画111航海の海嶺玄武岩を酒井・石塚さんからもらってその相平衡実験をおこなっているうちに,大気中では斜長石に多量の鉄が入ることに気付き,その分配からマグマの酸化度を推定する手法を開発することにテーマを転換させて,同じ実験で2種のデータをとるというラッキーな経験をすることができました.(1石2鳥)(2枚腰)その後、1991年から雲仙岳の噴火があったり、注目の富士火山の歴史噴火噴出物を調査する機会があり、科研費でも「噴火機構と岩石組織」を継続して申請しています。(必要に迫られて)
1989-1990年の科研費総合研究「火山学の基礎研究」に加えてもらいましたが,ちょうど火山学に役に立つ岩石学を考えていた折でした.日本では10年に2ー3回の火山噴火がありますが,それらの噴出物について高圧実験をおこないマグマ溜まりの物理条件を決めるグループが存在しないことを残念に思い,それを立ちあげることを強く主張しました.それから,ガス圧装置を科研費に申請し続け,1995年に神戸大に異動した年に採択になりようやく高圧実験を始めることができました.その4年前にガス圧装置を導入していた東工大の高橋栄一さん,中村美千彦さんのご好意でカプセル作り等の実験技術を教えてもらいようやく動かせましたが,バッファした実験は自分では失敗してばかりで、学生さんの方がずっと上手にバッファした実験をおこないます.今後,日本の歴史噴火噴出物についての岩石学的な検討をおこない,できるだけ定量的な噴火モデルに対する制約条件を提出するような実験をおこないたいと考えています.とは云っても自分自身は実験も理論も事務能力もダメでゲリラ的アイデアで食ってきたので,定常業務的な技術のいる仕事はあまりうまくいく訳ではありません.(眼高手低)
2000年頃ショックだったのは,まだしばらくは雲仙岳の噴火機構モデルで食っていける,と思っていたら,Melnik & Sparks (1999, Nature, 402, 37-41) でこの問題(マグマの上昇・発泡・脱ガス・結晶作用・粘性・密度の一連のフィードバック構造)の基本的なモデルが提出されてしまったことです.まあ,あと定年まで9年この課題は継続しますが,体制立て直しです.反動で自分では実際に研究していないアダカイトのレビューを学会シンポで話して,佐藤はテーマをくるくる変える奴,と顰蹙をかってしまいました.2003年に世界の花崗岩研究者が集まるハットンシンポがある、というので、最近は花崗岩の斜長石の測定をやったりしてもいます。ついでに徳島大名誉教授の岩崎正夫先生からお声がかかって中国アルタイ地域のデボン紀ボニナイトの調査にでかける(2001)等、本当に何やっているのか自分でも収拾がつかないのでは、と心配になる始末です(呼び出し芸者=お声が掛かればどこへでも)。もっとも、2002年末頃、雲仙のモデルを考えていて、Melnik&Sparksは、モデルの仮定に検討の余地があり、別のモデルも可能である可能性があるように思えてきた。
(石の上にも3年)
2001年10月に連絡のあった、外部評価(大学評価・学位授与機構による)の「評価内容の概要」では、理学部全体として高い評価が与えられている中で、「一方、。。。岩石学。。。ては、当該および関連分野に大きく影響を与えるような研究はみられない。」、と書かれました。岩石学はここでは私だけなので、そういう評価なのだと納得する次第です。今年は理学系では東北大学・神戸大学、ということで、なかなかつらい処です。まあ、同じ分野でも狙いがかなり多様なので、これからリベンジで、次回の評価では、「分野に大きな影響を与える研究が認められる」と書かせることができるような研究を残せると良いのですが。 といっても、2000年以降4年間も論文が出てないと、「あいつは死んだ」ということになります(敗軍の将、兵を語らず)。まあ、死にかかっても研究を楽しんでおれるのは極めて僥倖ではあります。(またもや年寄りの冷や水)