1985年に金沢から広島へ移り,火山学に役に立つ岩石学,を考え,その対象として,それ以前から興味を持っていた富士の歴史噴火を研究したいと考えた.日本で社会的に最も大きな影響のある小〜中規模の噴火はおそらく富士火山であろう.東京に近いし,東海道,中央道に接している.(金沢に居たころ,山崎正男先生はよく半分冗談に,富士が噴火したら,関東-関西間の交通が遮断されるので至急北陸新幹線が必要なのである,と云っていた)ところが,富士山の歴史噴火で最も顕著な1707年と864年噴火は同じ玄武岩質マグマの活動なのに噴火様式は全く異なり,1707年は爆発的で864年は溶岩流出が主体である.その違いが何故生じたかという研究は誰も発表していなかった.この問題に解答が出せないようだと,火山学に役に立つ岩石学はありえないし,社会的にも火山学は役に立たないと思った.ちょうど,1988年に広島大総合科学部ではじめて卒論生の原郁男君(現在農林水産省)がついてくれて,彼はたまたま静岡県の出身だったので富士山の溶岩の1気圧溶融実験をやることになり,それから3年間,毎年富士山に通うことになった.結局,当初の噴火様式の違いについては,水を入れた実験をしないと決定的なことは云えないことが判り,広島では決着をつけることができなかったが,神戸へ移ってからガス圧装置で,卒論生小山美香さん(現在京都医短)もまきこんで,富士溶岩から晶出する斜長石が水の存在によって20%位Anに富むようになることを証明でき(buffer されていないので論文にできない)一応の決着の見通しがついた.つまり,1707年噴火は地下20km位から水に富む玄武岩質マグマ(H2O=3-4wt.%)が急速に上昇したため爆発的な噴火になったが,864年噴火はマグマが上昇途中で側方へ岩脈を作って貫入しそこで脱ガスしたために,水に乏しくなった玄武岩が溶岩流出をおこなった,というシナリオである(月刊地球,1999).