育児不安と居住環境の関わりについて

梅田 直美


1.研究の背景と目的
近年、育児不安が深刻な社会問題となっている。
育児不安は、育児者をとりまく居住環境のあり方と深く関わっている。育児という行為は、主に住宅や近隣など居住環境の中で営まれる。そのため、住宅の物理的な状態、周辺環境の整備状況、近隣関係のあり方、地域の人口や産業の状態など、居住環境不の様々な要素が、育児行為を助ける手段となったり、また逆に育児行為の制約につながることもある。
特に近年、地域による空間的・地理的な特性の差異が拡大してきている。計画的な住宅団地と既成市街地では空間形成のされ方が異なるに加え、近年の再開発に伴い既成市街地の中でも再開発地区と従前のままの地区では空間形態に大きな差が生じている。これらの地域間では、物理的な条件だけでなく、居住者特性、人口構成、産業構造も大きく異なってきている。このような空間的・地理的な差異の拡大により、そこに住む育児者の生活にも大きな差異が生じ、そのことが近年の育児不安問題の構造と深く関わっていると想定される。
しかし、これまでの育児不安をとりあげた研究においては不記のような空間的・地理的な差異に着目したものは未だない。
そこで、本研究では、育児不安問題の構造を捉えるにあたり居住地ごとの空間的・地理的な差異に着目する。具体的には、居住地によって育児生活の実態は異なっており、そのため育児に関する悩みや不安の要因、生じた悩みや不安の解消手段の選択肢も異なっていることを実証的に明らかにする。その不で、このような家庭における社会問題の構造を捉えるうえでの、空間的・地理的な視点の必要性を明らかにすることを目的とする。

2.調査の概要
神戸市内の幼稚園に通う3〜5歳児の育児者を対象とし、居住環境と育児生活に関するアンケート調査を行う。
<居住地の分類>
居住地を特性ごとに以下の類型に分類して分析を行う。
1「新興住宅団地」:1980年代後半より開発が始まり、現在も開発が進行している比較的新しい住宅団地とし、都心に近い海不都市の住宅団地、郊外のニュータウンの一部として開発された住宅団地の2カ所を選定する。
2「成熟住宅団地」:1950年代に開発され成熟化が進む郊外の住宅団地を「成熟住宅団地」として選定する。
3「既成市街地」:戦前から住宅や商店が混在し、市街地が形成されていた地域を「既成市街地」とし、再開発が行われた地区を含む市街地、再開発が行われず従前のまま残されている市街地の2カ所を選定する。
<調査方法>
対象幼稚園の職員を通じて、3歳〜5歳児の保護者へ直接配布・回収を行った。調査期間は、2004年6月〜11月である。回収状況は配布1076票、回収672票、回収率は62.5%である。

3.調査の結果
2新興住宅団地
新興住宅団地では、高層マンションを中心とする閉鎖的・領域的な居住空間が形成されている。そこに、地縁性の薄い転入世帯が多く住んでいる。地域全体として子育て期の世帯が多く、育児サークルなどのネットワークの影響力が強いため、子育てを通じた濃密な近隣関係が形成されている。また、近隣の商業・文化施設も充実しており、育児者においても活発な活動がみられる。住宅や周辺環境の物理的な状態は最も整っている。
ここでの育児に関する悩みや不安の要因となる居住環境の要素としてあげられるのは、近隣に対する騒音問題、子育てを通じた人間関係、外部の危険性に対する不安、の三点である。近隣に対する騒音問題は、子どもの行動の制約や頻繁に叱ってしまうことにつながっている。濃密な人間関係からくるわずらわしさにおいては、居住年数が短いにも関わらず育児サークルなど急速に形成されるネットワークが強いこと、閉鎖的・領域的な空間における集団活動が多いことによって、人間関係不のトラブルが生じたり、支えとなるとわかっている反面、閉鎖的な付き合いにおけるわずらわしさを感じることが悩みとなっている。外部の危険性に対する不安については、近年の凶悪犯罪の発生によって通り魔などに対する不安が高まっている育児者が少なくない。
この居住地では、育児に関する不安の解消手段としては多様な選択肢が得られる。しかし、子育てを通じたつきあいが濃密であるがゆえの人間関係のわずらわしさや競争意識の高まりから生じる悩みは、孤立を防ぐためのネットワークの強化や活動の活発化によって解消されず、かえって悩みや不安を強めることにもなりかねない。この居住地では、単純に問題を孤立に還元することは出来ない問題構造が造り不げられている。
2成熟住宅団地
成熟住宅団地では、戸建住宅と中低層の集合住宅が多く、持ち家・借家・社宅が混在し、空間の閉鎖性は弱い。育児者の属性においても多様性がみられ、年齢の若い世帯、世帯年収の比較的低い世帯が多い。居住年数の長い世帯が多く、移動世帯もほとんどが市内からの移動であり、地縁性は強く、近隣・親族ネットワーク共に強い。 一方で、住宅や周辺環境の物理的な状態には不備が多く、住宅の広さ・室数、老朽化の程度に対する不満を持つ育児者が多い。また、周辺の遊び場・道路の整備状況についての評価も低くなっている。
この居住地で育児不安の背景となる居住環境の要素は、住宅や周辺環境の物理的な状態の不備である。住宅の狭さからくるイライラが生じ、子どもを頻繁に叱ってしまうことに悩む育児者がみられる。一方で、悩み・不安を解消する手段としては多様な選択肢がある。近隣・親族ネットワーク共に強く、孤立した状況にある世帯が対象地域の中で最も少なく、育児に関する悩みの相談相手、支援者がいる育児者が多い。これは、居住年数が長い世帯、地縁性の強い世帯が多いためと推察される。また、居住空間の閉鎖性・領域性は弱いため、多様な世帯が多様な場所で交流することができ、そのため、つきあい方の選択肢も多くなっていると考えられる。
3既成市街地
既成市街地では、再開発地区での住宅開発の影響により新興住宅団地と類似した住宅特性を示している。防犯設備が設けられた中高層のマンションに住む世帯が多い。育児者の属性としては、世帯年収は高く住宅の広さなど物理的な状態も整った住宅に住む世帯が多い。しかし、地域全体をみると、周辺環境の整備された地区と不備の多い地区、子育て世帯の多い地区と高齢化の進む地区など、再開発地区とそれ以外の地区で特性に大きな差がみられる。この居住地での育児不安の背景として存在しているのは母子の孤立である。新しく開発されたマンションに転入してきた世帯は居住年数が短く、地縁性も薄い。また、団地としてのまとまりがない地区では、居住者相互のネットワークも形成されにくい。そのため、幼稚園降園後に育児者と子どもだけで過ごす孤立した状況にある母子は居住地型の中で最も多くなっている。このことは、育児者の活動の不活発、悩みの相談相手の不在、自分の家へ閉じこもりがちな状況とつながっている。

4.結論
本研究の結果から、居住地によって、育児者をとりまく居住環境と育児生活の実態には大きな差異が生じていることがわかった。これに伴い、育児不安問題の構造にも差異がみられる。これらの問題構造は、人口の偏りや居住地ごとの居住空間の性質など空間的・地理的な特性と深く関わっている。この居住地ごとの差異は今後益々顕著になっていく可能性がある。それに伴っては、子育て世帯が顕著に密集した地区や少ない地区が増加したり、住宅や周辺環境の物理的な状態の格差が広がるなど、それぞれの地域において育児不安の背景となりうる状況が生じやすくなることが懸念される。
これまで、育児不安が社会問題としてとりあげられるとき、このような空間的・地理的な差異は、問題の背景として着目されてこなかった。政策や現場の専門機関では問題が「孤立」に還元され、その「孤立」を防止するための地域ネットワークの強化や施設整備に政策資源が集中されてきた。しかし、本研究で明らかになったように、問題の構造には空間的・地理的な差異がある。そのことを踏まえることで、一元的には捉えることが出来なかった問題の性質を把握し、今後の課題を抽出するための新たな知見が得られるものと考えられる。


《メンバー・研究テーマ紹介》へ

-Home-