1.研究の目的と方法
観光旅行産業は世界的に拡大した。これに合わせ、各地では様々な観光地が開発されてきた。ツーリズムのグローバルな拡張はローカルな場所に社会・経済的な影響を与え、その空間を組み替えるように作用する。同時に、グローバル・ツーリズムの振興のための開発は無条件に進むとは限らず、ローカルな社会・経済・空間の文脈との関係をもたざるをえない。ツーリズムのグローバル化のもとでのローカルな場所の開発のあり方を考える必要性が高まっている。ツーリズム拡大の影響を受けるエリアの典型の一つが「バックパッカー・プレイス」である。ここでは、外国人のバックパッカーが多く集まり、彼らを主な顧客とする、宿泊料金が相対的に低額な宿泊施設が集中する場所をバックパッカー・プレイスと定義している。パッケージ・ツアーなどの利用者に比べ、自ら旅程を決定し、低い予算で長期の旅をするバックパッカーは低料金の宿泊施設への需要を増加させ、バックパッカー・プレイスの出現を促してきた。
本研究では、アジアのバックパッカー・プレイスで実施したケーススタディを調査の中心として、その特性の把握を試みる。その実態は立地場所や形成時期によって異なると思われるため、これらの指標の分布を考慮して3箇所を抽出した。調査の主な着眼点は

建築・店舗などから成る空間

旅行者と事業従事者が作る社会

その空間のあり方を巡る言説、の3つである。その他、補足的な調査として、観光地の分布、旅行者の意識の特性などを把握した。
2.グローバルに拡大するツーリズム−『地球の歩き方』分析−
グローバルなツーリズムの対象となる場所の地理的分布の特性を知るため、観光ガイドブック『地球の歩き方』シリーズの各タイトルの刊行状況・掲載場所の推移を分析した。以下の2点が明らかになった。

初版発行以来、同シリーズのタイトル数は増加し、ほぼ全ての国と地域を網羅した。1タイトルで紹介されるエリアは、複数国にまたがる地域から、個別の国、さらには国内の特定地方へと細分化した。

書中に掲載される場所の数は増加してきた。昔は大規模な都市、鉄道沿いの場所が多かったのが、近年はアクセスが困難な小規模な町や村が新たに取り上げられるようになった。ツーリズムは地球上に広域的かつ高密に、より「辺境」を目指して拡大していった。
3.都市の伝統的バックパッカー・プレイス−バンコク・カオサンエリア−
バンコク都心部、カオサン通り周辺のバックパッカー・プレイスにおいて、

建物類型と店舗分布の目視調査

外国人旅行者60名、事業従事者14名へのヒアリング調査

新聞記事からカオサンエリアのあり方を巡る言説の分析を行った。ここから次の3点が分かった。

エリアの空間は多様な構成要素からなる。木造低層建築、仕立て屋・銀製品店など古くから現地にあった建物・店舗と、大規模ホテル建築、宿泊施設・旅行代理店などツーリズムに対応して新設された建物・店舗が混在する。

多彩な人びとが社会を形成している。旅行者は、無職、自由な旅程・低予算・長期旅行などの特徴を持つ「漂泊型旅行者」と、厳密な旅程計画、多い予算、短期旅行を特色とする「予定型旅行者」に大別でき、事業従事者は親族の紹介等により古くから同地区での事業に携わる「古参・縁故型事業従事者」と、観光業等の専門知識や経験を有し、事業拡大を志向する「新参・経営志向型事業従事者」に類型化できる。

カオサンエリアのあり方に関する多数の言説が現れた。エリアの具体的な開発計画を巡り、グローバルなツーリズムへの参入を希求する意見と、場所のローカルな特徴の保全を主張する意見が並存する。
カオサンエリアの空間は多様な構成要素から成り、そこに様々な人びとが関わることで、柔軟性を持つ多層な空間を作り出してきた。多層なカオサンエリアの空間は、特定の意見のもとに収斂されることなく、類型の異なる多彩な構成要素と言説を受け入れる柔軟性を保持している。その柔軟性が、カオサンエリアの魅力を作り出してきた。
4.田舎の伝統的バックパッカー・プレイス−インド・プリー−
インド東岸の町プリーのバックパッカー・プレイスを対象に、

建物類型と店舗分布の目視調査

外国人旅行者20名、宿泊施設オーナー44名へのヒアリング調査を行った。これらの調査から明らかになったのは以下の3点である。

プリーの空間は、広大な空地が広がる中に、多様な建築が混在して成り立っている。建築類型は、スラムのバラック、植民地時代の旧英国人邸宅、大規模ホテル建築など多彩である。旅行者を主な顧客とする商業活動がこの多様な空間に収まっている。商業活動の分布はその建築類型や立地の影響を受けにくい。

プリーの人びとは比較的同質性が強い。旅行者は、旅行期間が平均8ヵ月と長く、旅程の計画を立てない、無職である、プリーでは毎日を「のんびり過ごす」等の共通点を持つ「漂泊型」が多い。宿泊施設のオーナーは地元や近隣出身者が大半であり、20〜30年間にわたって宿を経営しているものも多数存在する。

同質性の強い人びとが発する言説は複数の次元において対立関係にある。プリーの将来像に関して、旅行者やオーナーの意見は、「プリーの町が変化することを望む/変わらないことを望む」、「積極的に開発すべき/保全を重点的に進めるべき」、「世界に普遍的に流通する商品やイメージを取り入れるべき/プリーのローカルな特徴を残していくべき」、などの多数な論点に分かれた。
歴史の長いプリーのバックパッカー・プレイスは、柔軟な空間に同質性の強い人々が関わる状態が長年続き、安定した空間を維持して来た。しかし開発の余地の大きいその空間の将来像を巡って、人びとの意見は変化/不変、開発/保全、普遍/特殊など、多数の論点において対立関係を示している。グローバルなツーリズムとローカルな場所の関係は複数のジレンマを常に内包するものである。
5.田舎の新興バックパッカー・プレイス−ラオス・ヴァンヴィエン−
ラオス山間部に位置し、1990年代にバックパッカー・プレイスとして振興したヴァンヴィエンにおいて、

建物類型と店舗分布の目視調査、

外国人旅行者20名、宿泊施設オーナー26名へのヒアリング調査を行った。そこから以下の3点が明らかになった。

空間の同質性が強い。3階建以上の建物は12棟しかなく、低層・小規模な地元民の住宅建築が大半である。旅行者の要求を満たす商業活動がそうした小規模な建築物の中に入り込んでいる。

同質性の強い人びとからなる社会が形成されている。宿泊施設オーナーは地元出身・家族を中心に小規模に経営する、宿の経営の歴史が短い等の共通点を持ち、旅行者は無職で、平均7ヵ月を超える長期間の旅をする等、「漂泊型」が多い。

ヴァンヴィエンの将来像を巡る地元民の意見と旅行者の意見は対照的である。地元民はグローバルなツーリズムへの参入を希望し観光地としてのさらなる開発を志向する一方で、旅行者はヴァンヴィエンのローカルな要素の保全と、これ以上の観光地開発が進まないことを望んだ。
ここから分かるのは、ローカルなものとグローバルなものは互いを欲求する関係を持つ、ということである。ヴァンヴィエンの均質性の強いローカルな空間に、ツーリストによってグローバルな文脈が持ち込まれる時、両者は強いコントラストを示し、そのことが相互の依存関係を強めていると思われる。
6.長期旅行者の特性
グローバルなツーリズムの拡大とローカルな場所の関係は、旅行者の意識の中でどのような関係性を有しているのか。出発後既に6ヵ月以上(短期間の一時的帰国を含む)経過している日本人旅行者8名に対し、過去に訪れた場所等についてインタビュー調査を実施した。
旅行者には3つの傾向があることが分かった。

「未開」の場所を欲求する。西洋文明の浸透、観光地開発の程度が低い場所への訪問を希望する意見が多い。

その場所独自のローカルな要素を欲求する。旅行者は現地民・現地の暮らしへの憧れを表明する。

日本を意識化する。グローバルに旅をすることで、日本のローカルな特徴が明確化するものと思われる。旅行者はグローバルに移動するにも関わらず、また、移動するがゆえに、「未開」のローカルなものを希求し、それぞれの場所の特徴に着目する。旅行者個人の意識の中に、グローバルな要素とローカルな要素が表裏一体となって並存していることが明らかになった。
7.結論
これらのバックパッカー・プレイスの観察から浮上するのは、空間の機能・形態・意味の定義づけを巡る論点である。
ここまでに行ってきた調査から、バックパッカー・プレイスでは、グローバルなものとローカルなもの、新しいものと古いものが混在し、あるいは両者が相互に依存し合うことで、多層性のある空間を生み出していること、そのことがバックパッカー・プレイスの魅力を作り出してきたことがわかった。同時に、その空間のあり方を巡って、対立関係を示す言説が恒常的に並行して発生しており、バックパッカー・プレイスの空間の単純な定義づけが困難であることが明らかになった。
開発とは、空間に何らかの定義づけを試みる行為であるといえる。そこにどのような空間をつくるのかが明確に設定されて初めて開発の作業に着手できるからである。多層な空間に一義的な定義を付与し、そのあり方を特定の方向性のもとに収斂させることは、空間が持つ多様性や柔軟性を縮減させ、その魅力を減退させる可能性が想定される。今後もツーリズムの拡大は進行し、観光地の開発は続けられるであろう。グローバルなものとローカルなものの接触を視野に入れ、双方の動的な相互関係こそを魅力の源泉とするような空間づくりの方法が考えられてよい。
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