1.電飾の観光戦略
1995年の阪神大震災により神戸市の観光は大きく落ち込み,現在も各観光施設群は震災以前の入り込み客数を回復できずにいる.犠牲者の鎮魂と街の復興の意を込めた電飾イベント「神戸ルミナリエ」は,2002年に8回目の開催を迎えて「冬の風物詩として定着」し,神戸観光に毎年500万人前後の実績を上乗せしている.
90年代後半,電飾空間は全国的に急増し,その設置対象や開催の契機は多岐にわたっている.本研究では以下の方法で,電飾による都市開発の実態とその意味を考察する.
- 「神戸ルミナリエ」の実地調査
- 「神戸ルミナリエ」の言説分析
- 全国における電飾空間の年次推移調査
2.神戸ルミナリエ
「神戸ルミナリエ」の電飾は中世イタリアの祝祭に起源を持つ,教会建築の要素を取り入れたものである.旧居留地・東遊園地という場所へのこの作品群の挿入により,時限的に非日常の空間が創出される.会場には物販・飲食の消費装置が組み込まれ,周辺の空間は強度に管理・監視されている.事業費はこれまで企業協賛金や個人の募金に頼ってきたが,資金難による開催継続の危機が毎年伝えられている.2001年・2002年の会場調査結果と公表資料を先行研究と比較したところ,以下のことがわかった.
- 作品や消費装置の配置,イベント形態は固定化傾向にある
- 空間の管理範囲は拡大を続けている
- 空間管理の範囲と規模,事業費の補填対象は拡大・増強を続けている
- 来場者は広域化している
3.神戸ルミナリエの言説分析
「神戸ルミナリエ」が誰によって,どのように意味付けられているのか,新聞記事・ヒアリング・発表資料を用いて分析する.2000年から2002年までの全国四紙と神戸新聞の記事から,ルミナリエの評価・形容に以下の傾向がうかがえる.
- 記事本文中には,「鎮魂・復興」と「風物詩」「観光」が並存している
- 製作者は「被災地・神戸」での開催意義を強調している
- 主催者は「原点としての震災」と「資金難」を語り,「市民の支援」を要請している
- 来場者は作品を肯定的に評価している.また「ごみ」「トイレ」問題を指摘している
- 読者投稿の評価は,「震災を回顧する光」と「観光化されたイベント」に二分している
- 一部の震災遺族は,震災との関係性ゆえに距離を置いている
主催者へのヒアリングからは,次のことが明らかとなった.
- 主催者による「原点としての震災」の強調
- 地元店舗・住民からの,混雑に伴う日常業務への支障に関する苦情
- 露店の存在・順路の長さに対する来場者の賛否両論の存在
主催者実施の調査では,来場者の圧倒的多数が作品を肯定的に評価し,継続開催を希望している.新聞記事数は年々減少しており,これと呼応して来場者調査ではマスメディアを経由した来場者のイベント認知率が減少している.以上から,次のことがいえる.
- イベントの意義を「震災」と関連付ける言説が主要である
- 観光資源として注目されている
- 「ごみ・トイレ・混雑」が問題化されている
「神戸ルミナリエ」は多層的な言説により構築されている.また,言説のマスメディアへの出現は減少している
4.発光する列島

全国における電飾・イルミネーションの年次変化を,朝日新聞の記事に基づいて明らかにする.ここでは両者を同義に扱い,いずれかの語を含む1990年以降の記事から空間装飾の実施を記述した記事を選別し,地図上にプロットした.8割が11月から翌年1月の間に点灯しており1997年以降全国的に急増,電飾の時間的集中と空間的拡散が見られた.
神戸市においては2001年夏,「光のプログラム」が開催された.これは「光」をテーマに従来のイベントを再編成し,集中的に開催することで集客観光の促進を図ったものであり,プログラム終了後も「光都・こうべ」の実現に向けて歴史的施設のライトアップ設備に対する助成が行われている.近畿の市町を中心に,地名等に「ナリエ」を結合した名称・俗称を冠した電飾が出現している.ルミナリエ同様の作品を「祝祭」装置として用いる都市も存在する.これらの現象は次の二点に集約される.
- 電飾を用いて交流人口を獲得する技法が全国に普及している
- 「ルミナリエ」の名称や形態の引用・編集が進行し,電飾一般の代名詞となっている
5.電飾都市
本研究で明らかとなった点を以下にまとめる.
- 神戸ルミナリエの時間/空間の拡大とその監視・管理の強化
- 神戸ルミナリエの言説の多層性
- 電飾イベントの全国的な増加と集中
- 電飾における記号の引用と編集
神戸ルミナリエの空間は継続的に拡大し,反対に言説は規模を縮小している.イベントとして定着する一方,他地域の電飾において「震災」の記号が剥離してルミナリエの名称・形態が引用され,「ルミナリエ」の独自性は失われつつある.都市開発の技法として,電飾を用いた空間装飾は近年急増している.電飾の時間/空間が拡散・競合するのに従い相互の差異表示が必然化され,記号としての電飾の引用・編集過程が加速的に進行している.その消費サイクルは短期化を余儀なくされると考えられる.ボードリヤールの指摘を参考に述べれば,これは記号内容なき記号表現であり,こうして形成された「意味されるもの」を持たない「電飾都市」は場所の文脈から乖離した,刹那的で空虚なものとならざるを得ないと懸念される.