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シュトゥットガルトには、主にヴァイセンホーフ・ジードルンクを見るために行きました。
旅も終わりに近づいていて、時間がなくあまりゆっくり回ることができなかったのが残念です。
ヴァイセンホーフ・ジードルンク(1927)/ミース・ファン・デル・ローエ他
ドイツ工作連盟主催の住宅展のために建設された住宅団地。全体計画と最も大きな住棟を
ミースが担当し、そのほかにW・グロピウス、ル・コルビュジエ、P・ベーレンス、B・タウト、
J・J・P・アウト、H・シャロウンなど当時の近代建築運動を担う建築家たちがそれぞれ
住宅を設計しました。ミースはそれぞれの建築家に自由な解釈で設計をさせたのですが、
結果としては統一感のある団地が出来上がっています。W.グロピウスによる住棟は現存
していません。また、私が訪れたときは2つあるコルビュジエの住棟のうち一つが改修中でした。
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←右:アウト、左:ミース
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←左:シャロウン、右:コルビュジエ
シュタムハイム青少年クラブ(1989)/ペーター・ヒュープナー
ペーター・ヒュープナーは住民参加、ユーザー参加の設計施工のオーソリティです。
シュタムハイムはシュトゥットガルトの北郊外にある工業都市で、テロリスト・グループが
留置されている場所として知られている場所だそうで、住民はそうした暗いイメージを払拭し
地域を活性化させたいという願いを持ってきたそうです。そうした理由から青少年クラブを望む
声が高まってきました。ヒュープナーはラフなスケッチのみを書き、それを元にして青少年や親、教師、
労働者たちが結集して自分たちの手で建物を作り上げました。工事には図面はなく
全てアドリブだったそうです。そうして出来上がった建物は人の手の温かみがあり、
青少年クラブは毎日沢山の人が引きもきらず訪れて盛況だそうです。
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←大きな恐竜のデザイン。内部はカフェになっています。
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シュターツ・ギャラリ−(1984)/ジェイムズ・スターリング
スターリングの作品のなかでも最高傑作といわれるのが[シュターツ・ギャラリー」です。
シュトゥットガルト市街地の中心部を外れた公園地区にあり、旧館とは2階の
オスカー・シュレンマー・ギャラリーを通じて接続されています(ちなみにオスカー・シュレンマー
はW.グロピウスが設立した芸術学校「バウハウス」のマイスターだった人です。
シュトゥットガルトのユースにはシュレンマーの絵画のレプリカがかかっていました)。
実はスターリングはシュターツを建てるとき、周辺の敷地を全て買い占める権限を
持っていたのだそうです。しかしその敷地には由緒ある音楽学校があり、スターリングは
その音楽学校に配慮して新館を建ててくれた、だから周辺の住民は皆彼に感謝しているのだ、
という話を周辺住民の方から伺いました。
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ウルムには3時間ほどしか滞在しなかったのですが、当初の目的であった「ウルムの大聖堂」に
登ることと、大聖堂に隣接して建つリチャード・マイヤーの「ウルム市展示・会議センター」を見る
ことは達成できました。ウルムの大聖堂は、教会の塔として世界最高の高さを誇るということで
登って来ました。狭く手摺もない階段はそれだけでスリリングなのに、一方通行の階段を間違えた
方向から進んでくる人が結構いて、すれ違う幅は本当にギリギリなので、けっこう危険でした。
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←階段です
ウルム市展示・会議センター(1993)/リチャード・マイヤー
コーナーのないシリンダー状の形態をとる、マイヤーらしい白亜の建築です。
コーナー部を作らないことで、大聖堂の威容を妨げないヴィスタを提供しています。
大聖堂の壁面の陰影にマイヤーの白がひときわ映えます。
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旅最後の都市、フランクフルトです。
フランクフルトにはマイン川という川が流れていて、私はマイン川の南岸にあるユースに
宿泊していました。フランクフルトは川の北と南でがらっと雰囲気が変わります。
マイン川の北岸はオフィスビルやショッピングセンターが建ち並び、まちのランドマークに
なっています。南岸からもこれらの高層建築はよく見えました。
コメルツバンク本店(1997)/ノーマン・フォスター
ドイツ最大の商業銀行の本店。フォスターは新しいエコロジー理念の開発によって高層ビルの
基本的性格を変革したいと考え、窓の開閉によって自然換気するという高層ビルには珍しい方法を
導入しています。建物の1階部分はレストランやカフェ、アート展示空間が配されフランクフルト市民に
開放しています。60階建て、300m弱もある超高層ビルは皮の向こう岸からも頭二つ分ほど
抜きん出て見えました。
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DG銀行(1993)/KPF
4分の1円+矩形というプランを持つ200mの高層タワー。背後にある住宅エリアへの威圧感を
軽減するためにヴォリュームの小さい妻壁を裏側へ向けるという配慮が成されています。
このビルも低層部は近隣住民に解放し憩いの場となっているそうです。
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←マイン川対岸からの眺め
一方南岸には博物館通りというものがあり、郵便博物館、民俗博物館、映画博物館、建築博物館など
沢山の博物館が立ち並んでいます。その中で目立っているのがリチャード・マイヤーによる
白の建築です。
フランクフルト工芸博物館(1985)/リチャード・マイヤー
R・ヴェンチューリやハンス・ホラインなどの案を破ってコンペで1等を勝ち取ったこの作品は、ヨーロッパにおける
マイヤー進出の布石となった重要な建築です。コルビュジエ的な幾何学形態と前庭の緑に映える白は
マイヤーおなじみの建築言語です。また、マイヤーは平面上の動線を3.5度振っており、かすかに崩しを
加えるという手法を用いています。
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フランクフルトは、エルンスト・マイが市の建築参事官となって変化に富んだ住環境計画を推進した
都市であり、「レーマーシュタット」や「ブルッフフェルド」などのジードルンクが建設されています。
「生活最小限住居」をテーマとしたCIAM第2回会議はマイの尽力によってフランクフルトで行われました。
その際マイは、多数の住戸を住民に供給するために建設コストや住戸プランの合理化について研究し、
システム化された台所である「フランクフルト式台所」を開発しました。
レーマーシュタットの集合住宅(1928)/エルンスト・マイ
エルンスト・マイによるジードルンク。変化に富んだ外観、専用庭など、建築家的な発想から住宅環境の
個性化を図っています。また、レーマーシュタットでマイは、傾斜する地形を利用し石造の防御壁を用いて
古代ローマ人の城塞都市のような演出を試みたそうです。
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ブルッフフェルト・ジードルンク(1929)/エルンスト・マイ
機能主義的なデザインに表現主義が加味されたような外観で、タウトのジードルンクに似ています。
E・マイとB・タウトのジードルンクは、外観だけではなく、変化に富んだ色使いや形態、1住戸に1つ私的な庭が
あるところなど類似点が多いようです。それに対して、グロピウスなどは機能主義を追求し、科学的な
ジードルンク計画を提唱し、日照時間確保のための南面平行配置、高層板状住宅の利点を主張しました。
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今回、ヨーロッパ建築をいくつか見てきて、日本とは建築に対する考え方の土壌が
全然違うということに驚かされました。
「石の建築」だからでしょうか、基本的に、壊すことを考えて作ってはいないように思います。
古くなっても、住民が自分でペンキで塗りなおしたりしてうまく住みこなしています。
テラスハウスなどで、住民が各自まちまちな補修をしていても、
元々非常に統一感のある外観なので、違和感はあまりなく、むしろ変化が出てよいくらいです。
外観はすごく古くて伝統の重みがあるのに、中に入ってみるとがらっと改装してあって
すごくモダンな空間だったりします。
どうということのない、居並ぶ集合住宅ひとつをとってみても、
ファサードの細かな装飾から設計者の思い入れが伝わってきます。
モダニズム期の建築家の作品が、今でも住民に愛され、きれいに住まわれています。
街の人が「コルビュジエ」の名前を知っていて、ユニテを街の誇りにしています。
シュレーダー邸のツアーに小学生くらいの子供をつれて参加していた家族もいました。
整然として美しい町並みを見るにつけ、建築に対して自然に愛情を持っている人々に会うにつけ、
スクラップ&ビルドの日本の建築を思い浮かべてうらやましく感じました。
今回の一人旅はまた、モダニズム建築を追う旅であると同時に、いろんな人達との出会いの旅でもありました。
パリの安宿で出会ったバックパッカーのみんな(なんと私の友達の友達、という人もいました)、
シャルル・ド・ゴール空港で出会った建築巡りの仲間たち、
一日目、宿をとっていなかった私(たち)をパリのど真ん中の素晴らしいciteの部屋に快く泊めてくださったうえに、
街の案内などもしてくださった素敵な陶器職人の日本人夫妻、
ユトレヒトのシュレーダー邸ツアーで一緒になって偶然ベルリンでも運命的な(?)再会をした友達、
フランクフルトのユースで私の最後の夜に遅くまで付き合ってくれたみんな、
といった日本人の人たちだけでなく、
道がわからなかったときに声をかけて道案内をしてくれたフランスやオランダやドイツの名前も知らない人たち、
metroの切符を買うのに小銭がなくて困っていたとき横から足りないお金を入れてくれたお兄さん、
ロンシャンの教会で会ったよね、と声をかけてくれて一緒にラ・トゥーレットの教会までヒッチハイクした
チャイニーズの女の子と男の子、
日本からユニテを見に来た、というとすごく喜んでくれたマルセイユのバスで会った気のいいおじさん、おばさん、
ユニテのカフェでユニテの話を聞かせてくれ、自分の携帯で私の家に電話までかけさせてくれたおじいさん、
オランダで泊めてくれたB&BのHuubとMartin、
夜行列車のコンパートメントで話したいろんな国の人たち・・・
こうした人たちとの毎日の出会いが楽しくて、旅の日はあっという間に過ぎていきました。
この中の数人の人たちとは、日本に帰ってからも交流したりしています。
すごい確率で知り合うことができた人たちなので、これからも大切にしていきたいと思っています。
今回はじめての一人旅だったのですが、かなりはまってしまいそうです。
次はいつ行けるでしょうか…
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パリで泊めていただいたciteの窓からの眺め
citeの近くのMarie橋から見たセーヌ河
連れて行ってもらったパリの朝市