3カ国目、最後の国はドイツでした。夜行列車で国境を越えてまずはベルリンに入ります。
フランクフルトOUTなので、ベルリン→シュトゥットガルト→フランクフルトと回ることに決めました。
・Berlin モダニズム建築 現代建築
・Stuttgart
・Frankfurt
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ベルリンには20〜30年代に活躍していたスター建築家の作品が集まっています。
当時のヨーロッパ建築の先端はここだったんだなと思いました。現在もベルリンは開発の
ホットスポットで、すごい勢いで建設が進行中でした。私が宿泊していたユースホステルはちょうど
「ソニーセンター」などのすぐ近く、つまり再開発地区のすぐ側だったので、昼間などは建設現場の
音があちこちから聞こえてきました。
AEGタービン工場(1910)/ペーター・ベーレンス
ベーレンスの代表作。大胆な構造や合理的なデザインが近代建築の未来を予感させる一方、
ファサードの構成や構造体を覆うレンガ壁など古典主義の要素も残している点で、
「19世紀の様式建築」から「20世紀の近代建築」へという転換の過渡期にあったものとして
興味深い建築です。大手電気会社AEGの芸術顧問になったベーレンスは、この建築で
工場建築を芸術の地位へ引き上げました。ベーレンスの事務所からはグロピウス、ミース、
コルビュジエといった著名な建築家が輩出されました。弟子であるグロピウスは後に、
コーナー部分を全面ガラス張りにした「ファグス靴工場」(右)を設計し、完全なモダニズム建築の
形態を生み出しました。
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←「ファグス靴工場」 「新建築」より
ベルリン・フィルハーモニー(1911)/ハンス・シャロウン
モダン建築の父といわれたシャロウンの代表作。世界最高の音響効果を誇るコンサート・ホール。
私が訪れたときは、「長期間閉館する」というような貼り紙が出ていて、中を見ることは
できませんでした。再開発地区であるポツダム広場の側にあり、ベルリン・フィルの向いがわには
同じくシャロウンの代表作の一つである「ベルリン国立図書館」(右)があります。ポツダム広場の
開発はこれら二つの建築に敬意を表した色やデザインになっています。
ベルリン・フィルの横にはリチャード・セラのオブジェもありました。
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ドイツ金属労働者組合本部(1930)/E・メンデルゾーン
メンデルゾーンの作品で最も有名なものは「アインシュタイン塔」(左)です。これは
アインシュタインの理論を検証するために作られた研究施設でありコンクリートの
性質を生かした彫塑的な有機形態が特徴です。表現主義の代表的建築といえます。
メンデルゾーンは後に、表現主義からインターナショナル・スタイルへと作風を変えます。
ドイツ金属労働者組合本部はインターナショナル・スタイルの作風を伝えるものとして
興味深い建築です。
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ブリッツ・ジードルンク(1931)/ブルーノ・タウト、マルティン・ワグナー
1万戸を超える大規模な住宅団地です。中央の広々とした中庭とそれを囲むような馬蹄形の
住棟が特徴的です。表現主義の建築家タウトによる大胆な都市計画によって、ユートピア的な
住空間が実現しています。現在でも大事に住まわれており、中庭でくつろぐ住民の姿もよく
見かけました。
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ノイケルンの集合住宅/ブルーノ・タウト
ブリッツほどの規模も斬新さもありませんが、落ち着いたたたずまいのきれいな集合住宅です。
カラフルな色彩以外は単調なファサードのように最初は見えたのですが、よく見てみると外壁が
わずかに湾曲していたりとタウトのディテールへのこだわりが分かります。最初ブリッツなどと比べて
オープンスペースや緑が全くないので不思議に思ったのですが、一度住棟の中に入って半地下の廊下
を通り抜けると4方を住棟に囲まれたひっそりとした中庭に出ました。ベルリン市内の喧騒が嘘のように
静かな落ち着いた空間になっていました。
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ベルリンのユニテ・ダビタシオン(1952)/ル・コルビュジエ
マルセイユのユニテと同じ年に建設されたユニテです。ベルリンの郊外にありました。
ベルリンのユニテはマルセイユのものと比べてピロティの柱が薄く、ほとんど壁柱といえるほどです。
角もマルセイユのもののように丸みを帯びず90度です。全体の印象としては、一般にマルセイユの
ユニテが傑作とされていますが、私の感想も同じでした。ベルリンのユニテは屋上など施錠されていて
見れない部分が多かったのでなんともいえないのですが・・・。住戸はほとんど埋まっているようで、
大事に住まわれていることをここでも感じました。
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ナショナル・ギャラリー(1968)/ミース・ファン・デル・ローエ
巨匠ミースが米国亡命後はじめてドイツに建設した作品です。1階部分は
ユニバーサル・スペースを具現化しており、地下が大きな美術館になっています。
基壇などにシンケルの影響が伺えます。
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←ミースのデザインによるバルセロナ・チェア。とても美しいフォルムです。
バウハウス・アーカイヴ(1978)/ワルター・グロピウス&アレック・クヴィジャノヴィッチ
バウハウスはW・グロピウスによってワイマールに創設された芸術の専門学校です。
近代的な教育哲学で国際的な評価も得ていましたが、右翼やナチスの圧力によって
デッサウ、ベルリン、と移転を余儀なくされ、結局ベルリン移転後1年で閉校に追い込まれ
てしまいました。しかしバウハウスの残した教育理念は戦後再評価されました。
この建物は、バウハウスの遺産を収集・展示するためにグロピウスが構想・設計していた
ものを、クヴィジャノヴィッチがベルリンに敷地を変更し手を加えて完成させたものです。
展示は企画展と常設展とがあるようで、常設展の方はバウハウス初期の有名なデザインから
ラズロ・モホリ=ナギの「ライト・スペース・モデュレーター」まで幅広く展示されています。
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ドイツ連邦議会新議事堂“ライヒスターク”(1999)/ノーマン・フォスター
元々は建築家パウル・ヴァロットによって1894年に完成された統一ドイツ初の議事堂ビルでした。
その後第2次大戦によって破壊されそのまま放置されていたのですが、1957年ごろから改修が始まり、
ドイツ議会の各部署が使用し始めたり、マイケル・ジャクソンのコンサート会場になったり、クリストの
梱包アートの対象になったりしましたが、1992年に本格的に国会議事堂として使用するべく
改修コンペが行われました。現在の形態は1等を獲得したフォスターの当初の案とは異なり、
巨大なキューポラが屋上全体を覆い議場に自然光を導入するというものになっています。
観光シーズンということもあり、すごい数の観光客が押し寄せていました。
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DG銀行(1999)/F・O・ゲーリー
デコン建築で有名なゲーリーのベルリンデビュー作です。既存ビルの改修計画なので、
外見だけ見るとゲーリーの建築とは分かりにくいのですが、中に一歩入ると有機的・金属的な
モニュメントが巨大な吹き抜けの空間にすごい存在感で置かれてあるので圧倒されてしまいます。
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ギャラリー・ラファイエット(1996)/ジャン・ヌーヴェル
コンペで1等を取ったヌーヴェルの案は、建物の中央に、1階から屋上までの26mの巨大円錐と
1階から地下4階までの逆円錐とをはめ込むというものでした。これによって全く新しい吹き抜け空間が
生まれました。円錐はガラスでできている上にホログラム・フィルムで覆われているため、様々な光を
反射して輝いています。強烈な印象を与えるこの演出は、十分な客寄せ効果を発揮しているそうで、
私が行った時も円錐形の周りはお客さんでいっぱいでした。
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ベルリン科学センター(1988)/ジェイムズ・スターリング
環境科額社会科学、経済管理を中心とした政府の特別研究機関であり、スターリングは
新築の建物の設計と既存の4棟の建物の改装を行いました。明るいパステル調の外観は、
すぐ側に建つミースの無彩色なナショナルギャラリーと対照を成していました。
写真を見ていたときと実際見たのでは印象が違い、思ったよりはパステルカラーの外観には
違和感を覚えませんでした。
GSW管理本社(1999)/ザウアーブルヒ&ヒュットン
個性的な建築郡が建ち並ぶチェック・ポイント・チャーリー(東西分裂時代に検問所があったところ)が
現在は博物館になっています)付近にあるひときわ目を引くカラフルな建物です。
3つの棟からなりますが、特に22階建ての高層棟が特徴的なファサードを作っています。
この高層棟は奥行きが薄く間口が広い形状をしており、わずかに湾曲しています。壁面は2重の
ガラス壁になっており、2枚のガラスの間に装着されているカラフルなブラインドが、その向きによって
毎日外観の表情を変えています。
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ユダヤ博物館(1998) /ダニエル・リベスキンド
リベスキンドはいわゆる「アンビルト・アーキテクト」として知られていた建築家で、この「ユダヤ博物館」が
初の建築作品となりました。細長い長方形の空間を折りたたんだような形状の空間です。鋭角が多用された
外観やスリットが特徴的です。私が訪れたときはちょうど大改装工事中で、フェンスが張られて近づく
こともできませんでした。残念です。
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バウムシューレンヴェク・クレマトリウム(1998)/A・シュルテス&S・フランク
ベルリン郊外にある火葬場。コンクリート打ち放しの清潔感あふれる空間で、完全にシンメトリーに作られた
平面に対して、内部には樹木を抽象化したRCの柱がランダムに林立しており、天井の円形の開口部を
貫通しています。そこから零れ落ちる光がこの空間に神聖さを与えています。
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ポツダム広場再開発計画
この地域は東西冷戦下のベルリンの壁によって分断され東西間の緩衝地帯となっていました。
ベルリン市は2002年までの完成を目指した巨大再開発に向けてコンペを行い、保守的な
ヒルマー&ザトラーの案を1等としました。ところが再開発のビジョンは企業資本によって実現
されねばならず、敷地のかなりの部分はダイムラー・ベンツ、ソニーなどの私企業に非常に安い
値段で売却されました。一方ベルリン市民の間では、ミースやシャロウンの建築が建つこの場所は、
ベルリンが再び統合ドイツの首都として機能するときのための官公庁ビルが建つべきだという意見が
支配的で、世論は沸騰しました。しかし企業側は保守的な1等案に反対の姿勢を見せ、進歩的な案を求めて
リチャード・ロジャースにマスタープラン製作を依頼しました。市側はロジャース案に反対し、
ヒルマー&ザトラー案にロジャース案の好ましいところを組み入れることを推奨しました。
こうした強引に伝統的解決に引き込もうとするやり方は、ベルリンの未来を旧態依然のものに
してしまうと、審査員の一人であったレム・コールハースは批判しましたが、結局企業側は市の
マスタープランを採用せざるを得なくなり、それに沿った各建築のコンペを行いました。
また、ダイムラー・シティの隣にはイタリアの建築家ジョルジョ・グラッシによる「A&Tプロジェクト」も
遅れて始動しています。このようにポツダム広場は、様々な立場からの様々な言説が飛び交いながら
ソニー、ダイムラーベンツ、A&Tの3つのプロジェクトを核として再開発が進められているホット・スポットなのです。
・ダイムラー・シティ(1999)/レンゾ・ピアノ&コリストフ・コールベッカー(マスタープラン)
隣接するハンス・シャロウンの「国立図書館」に敬意を表し、高さや色を揃えています。
また、「図書館」へ通じる開口部を設けてあり、積極的に連関を深め都市文脈への参加を
促しています。
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・ソニーセンター(2000)/ヘルムート・ヤーン
日本的なイメージを払拭したいといったソニー側の意向があったようで、ベルリンの建築的伝統とも
日本的なデザイン言語とも全く関係がないデザインになっています。楕円形の巨大アリーナ空間に
かかる大家根は、シャロウンの「ベルリン・フィル」の屋根を引用しています。
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Germany 2へつづく