II 地質産状および岩石記載


 高松クレーターの北西部は沖積層に覆われており,中央部から東部,南部に中新世火山岩類からなる小丘が分布する.これら小丘は主に中新世讃岐層群の黒雲母デイサイトドーム溶岩から構成されており,その麓に火砕流堆積物が分布する(Fig.1).高松クレーター内部では,基盤の白亜紀花崗岩類の露頭は認められない.クレーターの南方には花崗岩類が分布しており,部分的にその上を,鮮新世後期〜更新世前期の粘土〜礫層からなる三豊層群が数m〜数十mの厚さで覆っている.この項では,各層の露頭での性質と構成岩石の特徴を記す.
1 基盤岩類

 基盤花崗岩類は,重力異常の同心円コンター内では,その南端部の実相寺山南麓,日妻山南東部に産し,上位の中新世火山岩類により直接覆われる(川村, 1996)(Fig.1).これらの,クレーターに近接する地域の花崗岩類については,一部には小規模な破砕帯が存在するが,強い衝撃破砕の証拠は認められない.岩石は,中粒〜粗粒の黒雲母花崗岩〜黒雲母角閃石花崗閃緑岩で色指数5ー20,主成分鉱物として,石英,斜長石,カリ長石,黒雲母,角閃石,微量鉱物として,燐灰石,鉄チタン酸化物,ジルコン,等が含まれる.
2 火山岩類(讃岐層群)

 この地域の火山岩類は,いづれも中新世讃岐層群に属し,流紋岩質火砕流堆積物と黒雲母デイサイト溶岩から構成される.

 火砕流堆積物は,高松クレーター地域南端部に分布し,基盤の花崗岩類を直接覆っている.また,クレーター地域内部のボーリングでも,コアの大半は火砕流堆積物で占められている.船岡池北岸でおこなわれたボーリングでは,130〜320mの間が非溶結〜弱溶結の厚い火砕流堆積物によって占められている(長谷川・石井,1986).このボーリングコアの1試料を観察すると,数mm〜2cm長の圧密された軽石が30%程度含まれる軽石流堆積物であり,軽石は偏平化しており,もともとかなり発泡が良かったと考えられる.外来岩片は1%程度,石英,長石の結晶破片は数%程度である.この堆積物は変質が進行しており,新鮮なガラス片は認められなかった.変質鉱物は大部分がモルデン沸石でほかに濁沸石,水酸化鉄等が含まれる(Miura,1997).

 一方,クレーター南端部での火砕流堆積物の露頭は主に3ヵ所であり,それらは西から,実相寺山南麓,通谷,および日妻山東麓である.これらの露頭は,川村(1996)により記載されたものである.ここでは筆者らの観察事項を記載する.実相寺山南麓では火砕流堆積物が直接基盤花崗岩にアバットしており,そこから標高差約30m上方で上位の黒雲母デイサイト溶岩に覆われる.日妻山東麓では,火砕流堆積物は花崗岩の凹凸の多い面にアバットし,その上位,厚さ10m以上を占める.火砕流堆積物は,淘汰の悪い塊状の堆積物で,その構成は,白色軽石,ガラス質岩片,流紋岩質岩片,花崗岩類岩片,および基質からなる.基質は白色〜赤白色を呈し,結晶破片,火山灰からなる.軽石は,基質が赤白色を呈する部分では,白色の1〜3cm径のパッチとして認めることができ,その量は20〜30%である(Fig.2B).ほぼ完全に変質して沸石の集合体になっている.日妻山東の露頭から北100mには溶結した火砕流堆積物が観察されるが,そのほかの露頭では溶結は殆ど認められなかった.一般に,軽石はやや偏平化しており,1m2当たりの最大3個の平均直径は3cmである.基質の変質が著しい部分では軽石と基質の判別が困難である.ガラス質岩片は堆積物の数%程度を占め,角礫〜亜角礫で,直径1cm〜最大60cmのものが含まれている.いづれも,岩片自体が火砕岩であることが多く,それらの多くは,元々ガラス質溶結凝灰岩であったと考えられる.Fig.2Cには,最大径を持つガラス質岩片を示しているが,このブロック自体が火砕岩岩片の集合体である (Fig.2D).さらにこのブロックを構成する岩片中の岩片を検鏡すると溶結凝灰岩の組織を持つものが多い (Fig. 3C, 3D).つまり,この火砕流に含まれるガラス質岩片は3段階の破砕・溶結作用を受けた後に火砕流に取り込まれたものである.

 ガラス質岩片は鏡下では,多様なガラス質破片〜軽石,石質破片,結晶破片の集合体である(Fig. 3A-3D).粒子は一般に角ばっている.ガラス質破片はそれ自体が溶結凝灰岩のユータキシテック組織を呈するものがあり,そのような破片では圧密された軽石ガラスが認められる.そのような組織を呈さないガラス片は様々な流理を持つものから均質なものまで多様であり漸移する.無色から赤色を帯びたものまであり,赤色のものは弱い複屈折を示す場合がある.含まれる結晶は石英,カリ長石,斜長石,黒雲母,擬ブルッカイト,等である.石英,長石の結晶には波状消光をするものはあるが,衝撃で生じるplaner feature (Carter et al., 1990)は認められなかった.モード分析では細粒基質50%,軽石27%,ガラス質破片10%,石質破片9%,石英1%,長石2%,黒雲母0%,変質脈1%であった.

 流紋岩質岩片は,灰色〜青灰色のみかけを呈し,角礫〜亜角礫である.径1cm〜30cmのものがみられ,実相寺山南麓の露頭での1m2当たりの最大3個の平均直径は5cmであった.一般に無斑晶質であり,基盤花崗岩に由来する外来結晶の石英,斜長石,カリ長石が2ー5%程度含まれる.花崗岩質岩片は角礫〜亜角礫で,最下部の基盤との境界付近では,10〜20%含まれるが,上方では数%以下である.黒雲母花崗岩,花崗閃緑岩,石英閃緑岩などが認められる.これらの花崗岩類岩片には,シャッタコーンやシュードタキライト脈,顕著な破砕組織,等の衝撃変成の証拠は認められなかった.流紋岩質岩片は,鏡下では脱ガラス化した流理構造が特徴的で,部分的に針状沸石の球顆の集合体が判別されるものの,基質鉱物の判定はできなかった(Fig.3E, 3F).

 日山・小日山間の峠付近には一見火砕流と判別しにくい火山礫凝灰岩が露出する.ここでは下部 10m以上は塊状の火山礫凝灰岩で,上位3m以上が成層した火山礫層をなす (Fig.2A).塊状の火山礫凝灰岩は,基質部は沸石化が著しく元の組織を判別しにくいが,基質が淡褐色の部分では数mm〜1cm径の軽石を20-30%含み,石質岩片,花崗岩片等も少量認められる.全体に淘汰が悪く実相寺山南部等でみられる火砕流堆積物と同じ火砕流堆積物だと判断される.ガラス質岩片は認められないが,変質が進行したためであろう.上部の成層部は,白色流紋岩質岩片,下部の塊状火山礫凝灰岩の岩片を有し,厚さ30〜50cmの単位で粗粒部と細粒部が互層をなす.層理は漸移的であり,細かいラミナ等は認められなかった.

 黒雲母デイサイト溶岩は以上の火砕岩の上位に載る.一部では貫入関係にあるところが記載されている(川村,1996)が,我々は確認できなかった.黒雲母デイサイト溶岩は一般に,緻密,青灰色で塊状である.肉眼的に黒雲母(5%)と斜長石(15%)を含む.太さ30-100cmの柱状節理が発達する場合が多い.黒雲母デイサイト溶岩は,高松クレーター内部で,日山(比高160m),小日山(同60m),日妻山(同135 m),馬山(同60m),実相寺山(同160m),仏生山(同30m),法然寺(同30m),船岡山(同30m),の8箇所で小丘をなしているが,クレーターの外では,上佐山(160m),由良山(同120m)等にもほぼ同じ岩質の溶岩が産する.ただ,ほぼ同じ岩質であるが,噴出口はそれぞれの小丘内に存在する可能性が高い.全岩化学組成もこれまで得られた3つの分析値は,各々有意に異なっている.重力探査によると,これらの小丘の溶岩は殆んど根を持っておらず,細い火道(岩脈)を通して噴出したものと考えられている(Furumoto et al., 1994; 河野,1996).

3 三豊層群

 三豊層群は,高松クレーターの周辺地域の花崗岩質基盤を薄く覆って分布する.上佐山北方では,マサ化した粗粒花崗岩の表面を厚さ約20cmのシルト質砂岩,厚さ200cmのアルコース質砂岩〜礫岩の互層が覆う.このシルト質砂岩の粒子の大半は花崗岩に由来する石英,カリ長石,斜長石,黒雲母,角閃石等の結晶片であるが,5%程度,褐色の流理縞を呈する粘土化したガラス様片も含まれている.