<中国アルタイ紀行> 佐藤博明・伊藤純一
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2001.8.1-8.20の間、中国アルタイ地域のデボン紀ボニナイト・アダカイト類の調査に赴く機会があったので、その概要と印象について記す。今回の調査は、中国科学院広州地球化学研究所の于学元教授のプロジェクトに参加したもので、2001.1に于教授の知己である岩崎正夫徳島大学名誉教授から佐藤に打診頂いたのがきっかけだった。アルタイの名に惹かれての参加であったが、最近の中国の状況を一部見聞でき、また高マグネシア火山岩類を考えなおすよい機会を与えられた。
日程は、8/1神戸−広州、8/2広州地球化学研究所、講演、8/3広州−ウルムチ、8/4ウルムチ調査準備、北京地球研張旗教授到着、8/5ウルムチ−フユン、8/6フユン南部アダカイト調査、8/7-8クエルチオフィオライト、8/9フユン西部ボニナイト、8/10フユン−ブエルジン、8/11-12アシュラ高マグネシア火山岩、8/13ブエルジン南西ボニナイト、8/14-15ハナス湖地域、8/16ブエルジン−ウルムチ、8/18ウルムチ−広州、8/20広州−神戸である。
調査隊の構成は広州地化研の于学元教授、牛賀才教授、張海祥研究員、北京地球科学研張旗教授、と神戸大D2伊藤と佐藤の6名で、ウルムチからは2台のジープで調査をおこなった。
関空からは3時間あまりで広州に着く。広州は人口400万で中国第4の都市であり、高速道路が走り、高層ビルが立ち並ぶ等近代的な側面を持つ一方、空港際まで古い家々がひしめき合い近郊は田畑、池が散在してのどかな風景が見られる。広州地球化学研究所では講演をおこなったが、かんらん石と液のMg-Fe分配平衡関係についての質問等、意外と初歩的な点で鉱物相を扱う議論がなされていない印象を受けた。伊藤君も持っていった久米島ピクライトの話をした。「食は広州にあり」の通り、最初の晩から子豚の丸焼きの皮を北京ダックのようにして食す料理、等堪能させられた。広州料理は辛さは控えめで、柔らかい味のものが多い印象だった。広州からウルムチへは5時間近い空路で途中さまざまな砂漠や草原の地形が観察できた。
ウルムチは新疆ウイグル自治区の首都で人口200万近い。中国語(普通語)とウイグル語(発音はややロシア語に近い)が使われており、空港の看板も2つの表記があった。高いポプラの並木が印象的で、高度が900m近く、乾燥している。ここでは中国科学院の宿舎に泊った。ウルムチでジープ2台を調達して、そこからジュンガル盆地を一周して合計4000km近い走行距離であった。ジープはいずれも北京製で一台は新型(戦旗という名)で、高速道路でも90kmが精一杯であったが、原野を走る時は粘り強く64歳の于教授のようであった。ウルムチからフユンへいく途中は右手に雪を頂く天山山脈のボゴタ峰(5400m)がまじかに見えた。ジュンガル平原(盆地)は直径600×400kmであり、マイクロクラトンという考え方と海洋地殻が基盤であるという2通りの考え方がある。少なくともこの地域でプレカンブリアを示唆する証拠は得られていない。一面の平原ではあるが、あちこちで比高数10〜数100mの緩やかな丘が認められ全く地殻変動がないわけではないようだ。
フユンを基地にした調査ではこのような丘陵地域をジープで走っては丘の頂部の露頭を調査するものだった。但し、クエルチのオフィオライトは比高数100mの小山脈を横断する川沿いに主に歩いて調査した。枕状溶岩から斑れい岩のセクションであったが、角閃岩相から緑色片岩相まで変成されていた。いずれの火山岩もある程度組織は判別できるものの、変質・変成を蒙っており、どの程度初生の鉱物が含まれているか疑問である。また、このセクションでは数cm〜数mの厚さの白色層と暗緑色層の互層が数kmに渡って分布しており、于先生もその成因については判らないとのことだった。層状貫入岩説、堆積岩説、引き伸ばし説、等々が出たが、白色層がチャート起源か、酸性火成岩起源かが重要であるように思われた。田舎では人々は草刈に忙しく、身の丈の1.5倍程度の長さの大きな鎌で草を刈りそれを馬車に積んで家に蓄えに帰ることの繰り返しをしているようだった。馬、牛、羊、らくだ等の長い冬(−30〜−40℃になるそうだ)の飼料を備える必要があり、10歳程度の子供も草刈に参加していた。人々の顔立ちは日本人とたいへん似ている。フユンは田舎町ではあるが、近代化が計られており、中心の通りは広く、両側の新しい5階建てのアパート・ビルが立ち並び、夜は高さ10m位の花火状オブジェが点灯されきれいであった。この地域はスイカの産地であるらしく、道端で売っており、たいへん安くおいしい(9kgの大型のもので3元(45円))。宿も清潔で立派なもので(フユン地区の宿舎)日本のビジネスホテル並の設備がある。
8月10日は移動日であり、かつ牛教授(38歳)と伊藤君(28歳)の誕生日であり、朝食時に于先生が大きなケーキを携えて現れ誕生パーテイになった。前日の夜11時頃街を探して見つけられたそうでそのhospitalityに感服。(ちなみに、于先生(64歳)と佐藤(54歳)も誕生日が2月3日で一緒で勝10歳違いであり、5名の共同研究チームで2組誕生日が同じで10歳違いであることは奇遇であった)。
後半の調査はブエルジンを基地としておこない、アシュラの銅鉱山周辺を主に調査・試料採取した。アシュラ鉱山はまだ開発途上のようで、採鉱のための道路工事中で、行き帰りに2時間近くかかった。現地の事務所は計11名で学士が2名おられ、粗末な平屋で事務・食事等がおこなわれていた。この地域は牛教授らが高マグネシア火山岩類(ボニナイト的な微量元素組成を有する)を中国科学時報に発表しているところである。必ずしも新鮮ではないもののそれらしい緑色岩の採取をおこなった。今回の調査旅行では、岩石が変質・変成を受けていて原岩の判定が難しく皆なで議論になることが多かったが、張旗先生が一番的確な意見を言われることが多く、次第に張先生の意見に従うことになった。張先生はチベットでボニナイトの集積岩の記載をされているそうで、その妹さんが于先生の奥様だそうである。ブエルジンはいかにもロシア的な響きの名の町であるが、中国名は布る津と書かれる。フユンよりも大きな街で(1万人程度)、やはり近代化された部分と旧い部分が共存している。
8月14/15日はブエルジンから6時間位悪路を走り、アルタイ山脈の中心に近い、ハナス湖を訪れた。ここは観光地で、中国東部や南部のお金持ちの人々が多数来ている。于先生と牛先生は以前こられたことがあるとのことでブエルジンに残られた(ジープが故障して修理のため)。ハナス湖は2×10kmの湖でモーターボートが観光に走っており、我々も対岸まで3km(50元)走って岩絵を見に行った。朝、散歩で稜線まで比高300m程度上ったがアルタイの最高の友誼峰(4300m)は見えなかった。ただ印象的だったのは雪を頂く3000m以上の峰峰もなだらかでどこでも馬でいけそうである点で、アルタイは騎馬民族の活躍した処と勝手に納得した。現在でも馬は重要な役目をもっている。
ブエルジンで今回の共同調査を終え、于、牛、張先生方はさらに調査を継続されるためにフユンに戻られ、我々は張海祥博士と共に反時計廻りにブエルジン−カラマイ−ウルムチと戻った。途中、魔鬼城という観光地があって寄ったが、これは天然の層状の地層が侵食で一見多数のお城に見えるもので、薄く硬い層と厚く柔らかい塊状の互層からなっている。ハンマーで薄く硬い層を叩いてみると、石膏が固まったものらしい。つまり通常の砂の堆積中に途中で何度も湖が干上がって石膏の層ができることを繰りかえして生じたものらしい。また途中のカラマイは油田地帯で、高さ5m位の米搗きバッタみたいな井戸くみ上げの装置が数10mおきに数千台、あたり一面に配置され石油をくみ上げていた。
張海祥博士は学位を取られたばかりの32歳で、英語が堪能であり、中国語や中国のことをいろいろ教えてもらった。英語は現在では中国は10歳から学習を始めているが、以前は大学になって始めたため年配の人達は苦手の人が多いとのこと。中国語は方言が多様だが現在は学校で普通語(プートンフア)をどこでも教えるので若い人はだれでも普通語を話せること。1978年頃から中国が開放路線に転換したきっかけについての話、ケ小平(テンシャオピン)が重要な役割を果たしたこと。中国でも学位取得には第一著者論文3編、うち1編はSCI
Journalである必要があること(南京大学は1990年から始めて評価を高め、広州地球化学研では1999年からそうしているそうだ)、中国には地球化学研究所は貴阳(クイヤン)と広州の2つがあるが、貴阳が古く有名で、広州地球化学研究所は近いうちに海洋研究所に転換する必要があること。また中国科学院の研究所では今後はプロジェクトを持たないと研究を継続できないこと(事務職に廻される)、研究所のスタッフの平均給料は月2000元(3万円)程度であること、等々、長い車での道すがらいろいろ教えてもらった。また伊藤君は中国語を熱心に勉強して、地点の緯度経度をGPSで読み上げるのを中国語で聞き取れるようになっていた。
最初の予定には、天池、トルファン、等々の観光が含まれていたが、今回はキャンセルして飛行機の臨時便(夜9時ウルムチ発)で広州に行き、広東農業大学の宿舎に宿泊した。帰国の便は最初22日まであきがないとのことだったが、20日早朝に空港に電話すると当日の便に空きがあるとのことで、急遽張博士に電話して車で空港まで送ってもらい朝9時の便に乗ることができた。今回は、たった数時間の距離であるにもかかわらすこれまで知らずにいた隣の大国(面積で30倍、人口で10倍)について、ほんの一部ではあるが、古いものと最新のものが渾然と混ざり合った様子を伺うことができ、またモンゴロイドの故郷を見、古い時代の高マグネシア火山岩を尋ねた20日であった。于学元先生をはじめとする中国側の研究者の手厚い心配りに深く感謝する次第です。 (2001.8)