そのあと著者は大槻教授とつきあうようになり、その本も出すようになった。そのような経緯で超常現象の世界に入り込むのだが「超常現象の世界は感情論や屁理屈が多く、論争に参戦し巻き込まれていくことは気が重く・・・つまらぬ揚げ足を取られ、批判を受けるのは、不快なことだ。」世界の発明王・ドクター中松も論戦に参加したが「彼ほどの天才ならば、冷静な分析を展開し、この論争に終止符を打ってくれるものと期待したが、一読して正直なところ少々がっかりした。・・・大槻教授によってドクター中松エンジンを否定されたからといって、・・・「教育大出なので、私や清家氏などの東大出が憎くてしょうがないかもしれない」などというくだらない学閥権威主義をひけらかしながら皮肉る姿勢には閉口した。」ところで著者はドクター中松を科学者としては評価しているようだが、疑似科学界の大物である清家氏と自分を同列においていることからも、ドクターのスタンスは明らかであろう。
著者はそのようなドロドロを感じながらも、それでも肯定派、否定派と違った視点で本を書いてみようと思った。著者は自分もその一員であったTVや雑誌等のマスコミを痛烈に批判する。「マスコミは報道機関という側面もあるが、営利企業でもある。売れなくていい本をだそうなどといっていては経営が破綻するのは目に見えている。いい番組を作れば視聴率はどうでもいいなどというTV局は日本には存在しない。」だからTV局はオカルト・ブームを演出し、矢追純一氏、宜保愛子氏、高塚光氏・・・とつぎからつぎへと教祖を発掘してくるのである。
ところでこのようなオカルト番組でのゲストやコメンテーターの責任は重大だと指摘する。かれらは「これは不思議ですね。科学では解明できないことはたくさんありますからねえ」などと、無責任な態度で肯定的なコメントをする。結局かれらは、視聴者がいかがわしい心霊治療や霊感商法にひっかかる手助けをしているのである。評者の見たワイドショーでも、疑似科学の流行作家コンノケンイチ氏のいいかげんな議論に、科学者でもある北野大氏がそのような発言をしているのを聞いて、憤ったことがある。
さて筆者は中庸なスタンスで、心霊写真、霊視、UFO、スプーン曲げ、テレパシー、気効などについて基本的に否定的な評価を下す。ツチノコや河童などの未確認生物は、遊びとしての楽しさを評価する。ただ宜保さんや高塚氏の超能力には、大槻教授や安斎教授ほどの否定には徹しきれていない。科学に関する見方に若干の疑問もあるが、まあ読んで損はしない本である。