忠敬は50歳で隠居するまで、下総(しもうさ)佐原村の名家の旦那であった。ところが隠居と同時に星学暦学(現在の天文学、測地学)の勉強を始め、19歳年下の幕府天文方、高橋至時(よしとき)の弟子となった。高橋至時はその師、麻田剛立(あさだごうりゅう)、兄弟弟子の間重富(はざましげとみ)とならんで当代一流の大阪の天文学者であった。忠敬は師に勧められ、56歳から72歳までの16年間、日本の海岸線を歩き回り、日本地図を完成した。そのきっかけは、地図を作ることよりは、緯度1度当たりの距離を計ることにあった。これが分かると地球の大きさが分かるのである。それで星学者として名を上げるというのが、当初の目的であったのだが、結局は日本地図を作ってしまったのである。
もちろんこのような偉人は歴史上いくらもいる。評者が感心したのは、いわば定年になったあとから勉強を始め、そして偉業をなしとげたという、その情熱である。忠敬は貧乏な農民の子として生まれた。父は養子であったが、母の死とともに追い出されてしまう。そこで勉強好きの忠敬は非常な苦労をした。18歳の時に、4歳年上の伊能家の跡取り娘の婿養子となった。伊能家には本がたくさんあったので、それにひかれたのだ。米糠3合あれば養子になるなといわれている。現代の我々には、あまり実感がわかない言葉であるが、忠敬はまさにその言葉通りの苦労を味わうことになる。本を読もうとすると、妻は「 あなたは伊能家の財産を増やすためにきたのであり、本を読むくらいなら、出ていってもらいます」というのだ。正に悪妻の見本のような女である。忠敬はそこで働きに働き、最終的には莫大な財産を作り上げた。妻は41歳で死ぬ。死ぬことで始めて善いことをしたというような女であった。そして先に書いたように、忠敬は隠居と同時に若い時からの勉強への情熱を爆発させたのである。
本書は忠敬の測量旅行にともなう様々な逸話を述べているが、ほとんどはフィクションであろう。評者としては井上ひさしさんのこの本を、話の内容よりはむしろ、この忠敬の生き方を自分も見習いたい、また多くの人々に知ってほしいと思って、ここに取り上げたのである。実年者の元気の出る本である。若者にとっても、勉強できることの幸せが分かる本である。