ところで「ブラウン神父の無知」は家内の愛読書であると書いたが、家内はあきれるほどの読書家である。読書には勉強のためとか知識を仕入れるといった目的もあるが、楽しみのための読書もある。本書のようなミステリーものは、そのためのものである。家内はこの本を風呂のなかで読むのである。風呂で本を読むと湯気で本がしわしわになる。また誤って湯の中へ落とすこともあろう。安い古書だからこそ安心して風呂へ持ち込めるのだ。したがって本書は、縁が黄ばんで、背も剥がれそうである。背をセロテープで止めて、崩壊をなんとか防いでいる。家内はこの本をなんどもなんども、暗記するくらい読むのである。ミステリーはトリックが明かされたらそれまでだと私は思うのだが。座右の書という言葉がある。しかし、何度も読む本というのは、普通は辞書、辞典の類であろう。しかし家内の読み方を見ると、やはり座右の書もあるのだなと思う。いや座右の書というよりは、風呂の中の書であるが。
ブラウン神父はいわずとしれた、チェスタートンの創造した探偵である。チェスタートンはドイルとならぶ、英国の著名な短編ミステリー作家である。ところでドイルといえば、私は若いころ、ホームズ物はいうにおよばず、ボクシング小説まで全部読んだものだ。さて、本書はブラウン物の第1作で1911年が初版である。ブラウン神父は、丸顔の風采の上がらないカトリックの神父であるが、その表向きとは異なって、推理はするどい。あのコロンボも風采が上がらないが、それもブラウン神父の真似であろうか。アメリカのテレビ映画で、やはり神父の探偵がいるが、これもブラウン神父の真似か。それほど影響力のある作品であるといえる。ブラウン神父と怪盗フランボオの珍妙な関係は、とても愉快なものである。ミステリ愛好者の古典である。