「少年犯罪・・・ほんとうに多発化、凶悪化しているのか」
鮎川潤著、平凡社、660円、2001年3月19日、ISBN4-582-85080-4

本書の帯と表紙裏に書いてあることを記せば、本書のスタンスが分かるだろう。「「常識」を疑うことで、見えてくる「本質」。少年犯罪の過去・現在・未来。マスメディアによる少年犯罪は、ほんとうに正しいのだろうか。1990年代に「頂点」に達したといわれる少年犯罪の本質を、報道のされ方、統計の見方などの側面から歴史的に検討し、現在の少年犯罪の課題についても論及。「互いに働きかけあい、相互に行為しあうなかで作り出されるもの」として考察する。少年犯罪を考えるための基準点をステレオタイプな説明を避けて提示する。」


 近年、少年犯罪が増えている、凶悪化した、犯罪の質が変化したとマスメディアでよく言われる。いわゆる識者のそのような意見を読んだり聞いたりするたびに、評者などは戦前はどうだったのか、江戸時代はどうだったのかと考えてしまう。本書はそのような疑問に答えてくれる。少年犯罪の歴史を様々な文献を元に江戸時代から説き始める。章立てとしては第二章から順に明治、大正、昭和(戦前)、昭和(戦後)の少年犯罪、少年犯罪の現在、改正少年法と犯罪少年の処遇と続く。


 本書には少年犯罪の統計数字やグラフはそれほど多くはない。というのも統計数字というものに根元的な疑問を呈しているからである。警察の統計数字には殺人事件を除けば暗数が多いからである。たとえば、駐車違反やスピード違反が増えたとすれば、それは実際に増えたと言うより、警察の取り締まりがきつくなったという側面が無視できないからである。


 少年による横領の変化のグラフを見る。1946年に1132人でスタートした数は、1996年には約3万5千人にも達する。これはなにを意味するのだろうか。横領というと知能犯のように思えるが、そのほとんどは占有離脱物横領、ひらたくいえばそのほとんどが放置自転車の乗り逃げである。その検挙数が最近増えたのは、昔は見逃していたものが、「早期発見、早期治療」のスローガンの元、警察の活動が活発化したからにすぎない。
 少年の窃盗が増えているが、その大多数は万引きである。その場合、万引き数は店の方針、警察の対応によっては非常に変動する。警察が始末書でなく調書をきちんと取ってはじめて検挙人員としてカウントされる。統計数字をそのまま実数と見ることはできない。


 強盗は凶悪犯である。それが近年急増している。ひったくりを例に取ると、これがスムーズに成功すれば窃盗である。しかし被害者が抵抗したり、転んだりすれば強盗になるというのが、最近の警察の解釈だそうだ。そのようなことを知ると、統計数字だけを金科玉条のようにとらえるのはどんなものだろうが。
 先に述べたように、近年、少年犯罪は凶悪化したとマスメディアでよくいわれる。そこで著者はクイズを出す。20のさまざまな凶悪な少年犯罪の例を持ち出し、それがいつの事件か答えさせるのである。小学二年生の女子が乱暴されて殺害された(小学6年生の犯行)。同級生の首をナイフで切り落とした。いじめていた同級生を金槌で殴り、川に投げ込んで殺害した。これらは現在の事件のようだが、実はどれもかなり昔の事件である。これがもし現在おこれば、マスメディアはどれだけ騒ぐだろう。少年犯罪が現在になって凶悪化したなどと言うのは、昔のことを知らないものの言うことである。


 戦後しばらくは貧しく、そのための犯罪、たとえば食料を盗む犯罪などが多発した。しかし現在はそのようなことはないから、現在の少年犯罪は昔と比べて質が変質したという識者がいる。しかし終戦直後の少年犯罪の調書を詳しく調べると、当時から遊び型の犯罪があったのだ。


 20世紀最後の10年、日本の少年による殺人の検挙数は増えなかった。ところがご存じのように、少年犯罪の凶悪化が叫ばれている。それは一つにはマスメディアの戦略がある。テレビは視聴率を上げるために、少年犯罪をセンセーショナルに取り上げる必要性に迫られている。またマスメディアで大げさに報道することにより、誘発する犯罪というものがある。バスジャック事件はその典型である。しかしそれさえ1958年の小松川女子高生殺人事件では、犯人は新聞社に電話を入れたり、証拠を送ったりしている。


 このように、少年犯罪は今も昔も変わらない側面を多く持っている。それを知らずに、最近、質は変わったなどと言うべきではないだろう。しかし質が変わった側面も確かにある。たとえば携帯電話の普及や、外国人青少年の増加である。これらが未来型の青少年犯罪に結びつく可能性についても触れられている。
 本書は、新聞やテレビなどのマスメディアで、少年犯罪について、したり顔にコメントする識者に読んでもらいたい。評者にとっても教えられる所は多かった。