物理学とか化学のような自然科学の研究の基本的な手法は実験と理論である。実験の目的 は複雑な自然現象をできるだけ単純化して純粋にすることにより、自然の振る舞いを見る ことにある。理論では実験からえられた結果を解析し、その現象を説明できるような理論 を構築したり、あるいは既存の理論が観測を説明できるかどうかを調べる。一方、地球物 理学とか宇宙物理学の場合は、ふつうは実験という手法はとれない。自然現象を受身に観 測して、そこから一定の法則を導き、理論を構築するという手法をとるのが普通である。
しかし最近のコンピュータの発展は、理論でも実験でもない第三の手法としての数値実 験、つまりコンピュータ・シミュレーションという手法を可能にした。数値実験において は、大気の流れとか星、銀河といった研究対象を取り上げ、まずその数学的なモデルをつ くる。モデルの振る舞いを記述する方程式をたてて、その方程式をコンピュータで数値的 に計算し、モデルの振る舞いを見る。モデルにはさまざまなパラメターが含まれているの で、それらのパラメターを変化させた時に、結果がどのように変化するかを研究する。
このやり方は、正に実験に対応している。実験では、先に述べたように、対象からよけ いな要素を排除して純粋化する必要があるが、数値実験においても、数学モデルは通常は 単純なものである。その理由はひとつには、パラメターの数を減らしたほうが、パラメタ ーと結果の因果関係がはっきりとしやすいということがある。また実際的な観点としては 、あらゆる要素を考慮できるほど、現在のコンピュータの能力は大きくないということも ある。
以下に、私が現在研究しているアクリーションとよばれる宇宙物理現象に関する数値実 験について述べる。
宇宙物理現象といってもさまざまある。宇宙物理学のとりあげる対象は、大は宇宙その ものから始まり、超銀河団、銀河団、銀河、星間ガス、星、惑星などさまざまある。そこ に含まれる物理も、一般相対論、ニュートン力学、流体力学、プラスマ物理、核物理、原 子・分子物理などさまざまである。したがって、数値実験といっても範囲は広い。しかし ここでは、問題を星間ガスや連星系におけるアクリーション現象の流体力学に限定する。
アクリーションとは天体の重力にひかれて、ガスが天体の表面に落下する現象をいう。 日本語では降着と訳されている。アクリーションにより、ガスの重力エネルギーが熱エネ ルギーを経て輻射のエネルギーに変換され、天体は光輝く。水力発電所では水の位置エネ ルギー(重力エネルギー)が電気エネルギーに変わり、それが電燈を灯して光(輻射)の エネルギーになる。それと同様である。天体がブラックホール、中性子星、白色矮星のよ うに、重さのわりに大きさの小さな天体(コンパクト星とよぶ)の場合には、大きなエネ ルギーが解放される。つまりアクリーションは宇宙における効率の良い発電機なのである 。
どのような状況でアクリーションが生ずるのだろうか。それにはガスを引き寄せる天体 の存在と、そのまわりに豊富なガスがあることが条件となる。アクリーション現象が重要 な天体としてはクエーサーと連星系がある。クエーサーは宇宙において巨大なエネルギー を発している未知の天体である。その正体はたぶん遠方にある銀河の中心核に鎮座するブ ラックホールであろうといわれている。このブラックホールの重さは太陽の1億倍程度で あろうといわれている。そのブラックホールのまわりには、こわれた星の残骸から供給さ れるガスがある。そのガスはブラックホールのまわりに円板状に集積している。この円盤 をアクリーション円盤、または降着円盤とよぶ。ガスはブラックホールの回りを回転しな がら角運動量を失い、徐々にブラックホールに落下する。このとき円盤内部のガス同士が こすれて、その摩擦で高熱になりそのために輻射が放出されると信じられている。
連星とはふたつの星が共通の重心のまわりをお互いに回転しているものである。太陽は 単独星であるが、宇宙にある星の半分は連星であるといわれている。目でみて連星である ことが分かるほど二つの星が離れたものから、極めて接近した連星までさまざまある。ふ たつの星が共通の重心の回りを回転する周期を公転周期とよぶ。たとえば地球は太陽の回 りを1年で公転している。太陽に近い惑星はさらに短い周期で公転している。連星の公転 周期が数日とか、さらには数時間といった短いもの、つまり距離の極めて接近した連星も ある。こんな連星を近接連星系とよぶ。
図1には近接連星系における重力ポテンシャルの公転面における断面を示す。8の字の 形をしているのはそれぞれの星の重力の縄張りと考えてよい。連星の一方の星が質量のわ りには図体が大きな巨星、他方の星が質量のわりには小さなコンパクト星とする。コンパ クト星の例としては中性子星やブラックホールが考えられる。こんな場合にはさまざまな 興味ある流体力学的な現象が発生する。
図1 近接連星系におけるロッシュのポテンシャルの公転面における断面。ふたつの星の 重力のほかに、回転系から見ることにより発生する遠心力も加わっている。一方の星が巨 星で他方がコンパクト星の場合が興味深い。
そのひとつとして、巨星が十分に大きく、8の字の一方を満たしていると、溢れ出たガ スは8の字くびれの部分を通過してコンパクト星のほうに流れだす。こんな流れをロッシ ュ・ローブ溢れ流とよぶことにしよう。溢れだしたガスはコンパクト星に直接には落下で きず、コンパクト星のまわりを回転するので、ガスが集積してアクリーション円盤ができ る(図2参照)。ガスがなんらかの機構で角運動量を失うと、だんだんとコンパクト星の ほうに落下していき、その重力エネルギー(位置エネルギー)の差が熱となって円盤を熱 する。熱くなった円盤はさまざまな輻射を放出して、それが観測される。コンパクト星が 中性子星とかブラックホールの場合には、円盤の温度は1億度にもなりX線が放射される 。こんな天体をX線星とよんでいる。もっとも有名な例としては、白鳥座のシグナスX1 とよばれる天体がある(この天体はつぎにのべる星風アクリーションである可能性もある )。シグナスX1のコンパクト星はブラックホールであるといわれている。ブラックホー ルとはどんな光もださず真っ黒であるとされるので普通は見ることはできないはずである 。しかしそのブラックホールがアクリーション現象を通じて見えるのである。
図2 ロッシュ・ローブ溢れ流とコンパクト星まわりのアクリーション円盤の形成
もうひとつのケースとしては、巨星からいきおいよくガスが星風として放出されている 場合である。この場合は、ガスはコンパクト星に直接落下することもあり、星風アクリー ションとよぶ。
仮定
われわれはロッシュ・ローブ溢れ流の数値実験を行った。先にも述べたように、まず計 算を簡単化するための数学的モデルをつくる。ここでは流れを2次元的であると仮定する 。つまり連星系の公転面付近の流れを考える。しかもその流れの厚みが一定であると仮定 すると、流れは2次元的になる。考えているアクリーション円盤は薄いので、この仮定は 良いのではないかと思われる。しかしこれはあくまでも簡単化のための仮定であって、現 実ではない。もし3次元的効果が重要であり、それが流れの様子を根本的に変えてしまう のなら、考え直さなければならない。つぎに磁場はないとして、純粋に流体力学的効果の みを考える。またガスは断熱的であるとして、輻射の放出による冷却は考慮しない。この 仮定はもちろん正しくない。輻射冷却によってガスの温度は、断熱的な場合ほどには上昇 しない。そこでこの効果を少し取り入れるために、ガスの比熱比γを単原子気体の場合の 5/3 より小さくとる。ここでは1.2 とした。
計算法
巨星とコンパクト星の両方を含むような大きな領域を囲む範囲を計算領域として選ぶ。 その内部に一般曲線座標を張る。基本方程式としては粘性を無視したナビエ・ストークス 方程式、つまりオイラー方程式を採用する。境界条件としては、巨星の表面でガスが少し 溢れ出る程度に、ガスの密度、温度、速度を指定する。コンパクト星は小さな円形の領域 とし、その内部のガスの密度、圧力は零とする。つまりコンパクト星のまわりにやってき たガスは全て呑み込み、再放出はしないとする。もっともガスが来なければ吸い込めない ので、こうしたからといってアクリーション円盤が飲み込まれるわけではない。
計算スキームとしては計算流体力学の分野で昨今流行している、風上TVD法とよばれ るものを採用する。このスキームは頑丈なことで知られている。計算の始めには、計算領 域全体は希薄なガスで覆われているとする。計算を開始すると巨星からガスが吹き出し始 め、8の字のくびれを通過してコンパクト星のほうに流れ込む。しばらくは非定常な活発 な現象が生じるが、2公転周期ほどの時間がたつと、ほぼ定常なパターンがえられる。
計算結果
写真1に計算の初期におけるガス密度の時間変化を示す。コンパクト天体の回りに流れ こんだガスは小さな渦巻きを生じる。やがてアクリーション円盤は大きくなり一定のサイ ズになる。写真2は流れがほぼ定常状態になった時の密度分布である。8の字のくびれ部 分からガスがアクリーション円盤の方に流れ込んでくる様子が見える。この部分を象の鼻 とよぶ。アクリーション円盤部には渦巻きが観察される。これはやはり渦状衝撃波である 。
ガスは渦状衝撃波に何度も衝突するたびに、勢い、つまり角運動量を失いだんだんとコ ンパクト星のほうに落下していく。アクリーション円盤理論の定説においては、ガスは乱 流粘性によって、角運動量が内側にあるガスから外側にあるガスに輸送されるとしている 。しかしわれわれの数値実験においては、粘性がなくてもアクリーションが生じることが わかった。これは定説に対するひとつの挑戦である。もしわれわれのモデルが正しいなら 、数値実験の成果であるといえる。しかしながら、われわれの数学モデルにはさまざまな 仮定があり、そのまま正しいとすることはできないかもしれない。
写真1 アクリーション円盤の形成。左の巨星から溢れ出たガスは、コンパクト星の方に 流れだして、アクリーション円盤を作る。
写真2 2次元流体の数値実験によりえられたアクリーション円盤の密度分布。
さきの2次元数値実験にたいするひとつの大きな仮定として流れが2次元的であるとい うものがあった。こんな制限を課したのは、この種の計算は膨大なものでスーパーコンピ ュータによってさえ、数10時間も計算時間が必要とされるからであった。しかし昨今の スーパーコンピュータの発展は目ざましいものがあり、3次元的な数値実験も部分的にで はあるが可能となってきた。まだ最終的な結論をえたわけではないが、その一例を図3に 示す。図は巨星の赤道部から流れだしたガスの軌跡である。図4には公転面における密度 分布を示す。この図から分かるように渦状の衝撃波らしきものが観察される。ただこの計 算はまだ定常状態にいたるまでにはいたっていないので、結論をえるにはもっと膨大な計 算が必要となる。
図3 3次元数値実験によるガスの流れの軌跡。
図4 公転面における密度分布の等高線。渦状の密度の高まりが観察される。
なお2次元計算のアニメーションはNHKの特集番組「銀河宇宙オデッセイ」のブラッ クホール編で放映された。これらの数値実験において、現在日産自動車に勤めている関野 さん、および東北大学流体科学研究所の沢田さんの世話になったことを記し、ここに感謝 する。