宇宙とコスモロジー
宇宙は英語では普通はユニバースというが、整然とした法則性のある世界という意味での宇 宙をコスモスという。コスモスの反対の言葉はカオスつまり混沌である。そのほかに宇宙はワ ールド、スペースとよばれることもある。スペースとは太陽系空間のように、ロケットなどで いける宇宙であり、宇宙空間とも訳される。
宇宙論とは英語ではコスモロジーといい、科学の世界では、この宇宙の構造とか進化を調べ る学問のことである。しかし人文科学の世界で用いられるコスモロジーという言葉は宇宙観、 世界観ともいうべきもので、かならずしも物理的な宇宙ではなく、われわれの住んでいる世界 に対する見方といった意味に用いられる。
コスモロジーの拡大は人間の認識の拡大にともなっている。人間が誕生してから成長するに したがって世界が広くなる。生まれたばかりの赤ん坊の世界は自分と母親である。成長するに したがって、家族、隣近所、地域社会、国、地球というように認識が広がっていく。コスモロ ジーの拡大ということもできる。子供や子供っぽい大人にとっては、世界の中心は自分である 。つまり自分という存在を客観的に、つまり他者の目を通して見ることはできない。真の大人 とは客観的な物の見方ができる人間のことであろう。それと同様に、人類自身もその認識の進 歩に伴って、物理的宇宙に対するコスモロジーも拡大してきたのである。
古代のコスモロジー・・・天動説
ギリシャ時代のコスモロジーの主流は天動説である。これはギリシャの天文学者により唱え られ、そして偉大な哲学者であるアリストテレスにより体系化されたものである。その後エジ プトの天文学者プトレマイオスにより壮大な理論として体系化された。天動説によれば、世界 の中心には地球があり、そのまわりを月、太陽を始め金星、水星、火星、木星、土星といった 諸惑星がまわっている。これらの天体はガラス球のようなものに張りついているとされた。し かし観測の進歩とともに、地球を中心とする円運動だけでは、これらの天体の運行を説明でき ないことが分かってきた。そこで天球のうえにさらに周天円というものが重ねられ、天体はさ らに複雑な動きをすることになった。プトレマイオスの体系によれば、さらに複雑な運動が付 加されている。このように天動説は観測を説明するために、たくさんのパラメターを導入した ことに対応している。
天動説の思想史的な意味について述べよう。人間は地球に住んでいるのだから、天動説は地 球中心説、ひいては人間中心説であるともいえる。西欧中世を支配したキリスト教の教えでは 神がこの世界をつくり、人間をして世界を支配させるようにその他の被造物を作ったとされて いる。だから人間が世界の中心にいるとする天動説はキリスト教の教義とも合致して、支配的 思想になったのである。
地動説への転換と人間の没落
ルネッサンスになりポーランドのコペルニクスは、世界の中心は太陽であるとする地動説を 唱えた。世界の中心に太陽があり、そのまわりを水星、金星、地球、火星、木星、土星が回っ ているとするのである。月は地球のまわりを回転している。ギリシャ時代から天体のだいたい の大きさは知られていたから、大きな太陽のまわりを小さな地球が回転するのはもっともらし いと考えたのであろう。
科学的な理論の正当性は、さまざまな現象をすべて矛盾なく説明できるかできまる。もしふ たつの理論が同一の現象をどちらも正しく説明できるとすれば、より単純なほうの理論を採用 すべきである。その点、初期においては天動説のほうに歩があったが、簡単さにおいては地動 説がすぐれている。しかしガリレオが望遠鏡を作って、天動説では矛盾するさまざまな現象を 発見したので、科学的には地動説が圧倒的に有利になった。
思想史的な観点でいえば、キリスト教の根本を否定する地動説が教会により弾圧されたのは 当然のことといえよう。天動説では世界は有限で、惑星天の外には恒星天があり、宇宙はそこ までしか存在しないとされていた。コペルニクス自身はこの宇宙の有限性はそのままひきつい だ。しかしイタリアのジョルダノ・ブルーノは世界の大きさは無限であり、太陽といえど多く 存在する恒星の一つにすぎないと主張した。そして宇宙は一様であると主張した。こんな考え を宇宙原理とよぶ。現代宇宙論もこの宇宙原理を採用している。 地動説の思想史的な意味は 、人間の相対化である。つまり人間はこの宇宙においてもはや中心的な役割を担わないのであ る。近代科学の思想はこの延長線上にある。地球とか人間はこの世界において中心ではなく、 その存在はいわば偶然的なもの、それほど重要でない平凡なものとされている。その意味でこ の思想を平凡性の原理とよぶこともできる。これは近代、現代の科学の中心思想である。つま り地動説への転回により、人間は世界の中心的地位から放り出されたのである。
現代宇宙論はこの線上にある。観測によれば宇宙が一様で等方的であるとする宇宙原理は非 常に良い精度で成り立っていることが知られている。宇宙原理を仮定して、アインシュタイン の一般相対論の方程式を解くと、宇宙の構造がわかる。それによると宇宙はいまからほぼ百億 年まえに非常に高温度、高密度の状態から始まった。そして大爆発を行い膨張を開始して、現 在も膨張を続けている。このような宇宙の始めをビッグバンとよぶ。宇宙膨張にしたがって温 度が低下し、銀河、星などの天体が出現した。そして太陽がいまから46億年前に誕生し、い まから35億年ほど前には原始的な生命が誕生した。数億年前から高等な生物が出現し、そこ から哺乳類、人類の誕生へと続いている。これが宇宙の進化である。
人間原理と人間の復権
現代宇宙論、さらには現代科学において人間は中心的な役割をしめていない。しかし最近、 この世界における人間の重要性を指摘する立場が復活しつつある。ニューサイエンスと称する 分野もそのひとつではあるが、筆者はその立場はとらない。
別の人間中心主義として人間原理が一部の宇宙論学者によりとなえられている。人間原理と は一言でいえば、この世界がこのような姿をしているのは人間がいるからだという考え方であ る。このような姿とはなにか。それにはさまざまな側面が有る。たとえばわれわれの宇宙はビ ッグバンにおいて膨張を開始して以来、百億年になるがなぜこのように長い時間なのか。どう して1万年ではないのか。光速度はどうして秒速30万キロメートルなのか。秒速1キロメー トルではいけないのか。どうして空間は3次元であり、たとえば5次元ではないのか。このよ うな一見とんでもない質問にこたえるのが人間原理である。
人間原理によれば、宇宙の存在は人間、さらに一般的には知的生命の認識にかかっていると いう。もし知的生命のいない宇宙があったとすると、その存在は認識されないのだから、存在 しないのも同然である。
この立場は天文学でよく言われる選択効果の一種である。選択効果とは、観測にかかりやす いものをよりとりあげてしまうことである。たとえば星の光度の分布を観測したとすると、観 測結果そのままでは明るい星を数え過ぎることになる。明るい星は遠方にあっても見えるのに 、暗い星は近くになければ見えないからである。たとえば、ある問題に関する意見の分布を見 る時に、積極的に発言する人の意見ばかりきくのは片手落ちであるのと同様だ。ノイジー・マ イノリティの意見とサイレント・マジョリティの意見は必ずしも同じではない。真実を知るに は選択効果の影響を考慮しなければならない。われわれの宇宙自身も人間に観測されていると いうこと自体で偏りがあるかもしれないのだ。
ディッケの弱い人間原理
人間原理には学者によりさまざまな立場がある。アメリカの宇宙論学者ディッケは、現在の 宇宙の年齢(ほぼ百億年)と太陽のような平均的な星の寿命が一致するという事実に注目した 。宇宙には水素、ヘリウムから始まりウランにいたるさまざまな元素がある。人間を構成して いる元素は水の分子を構成する水素を除けば、炭素、酸素、窒素を始めとする元素である。水 素、ヘリウム以外のこれらの元素は天文学では重元素と呼ばれている。この宇宙では水素が7 0パーセント程度、ヘリウムが25パーセント程度で重元素は3パーセントしかない。しかし われわれにとって、この僅かしかない重元素は重要なものである。地球を構成する元素はけい 素、鉄、ニッケルとうの重元素である。
これらの重元素は宇宙の始めには存在せず、星の内部で合成され、それが星の爆発によって 外部に放出されたものである。われわれの銀河の内部では星が生まれては、その一生の最後に 爆発し、まわりの星間ガスに重元素を付け加え、そこからまた新しい星が生まれるという輪廻 転生を行っている。だから重元素ができるためには、すくなくとも星が一世代交替しなければ ならない。だから宇宙の存在を認識し、うえのような質問を発する人間が発生するためには百 億年程度の時間は必要なのである。つまり宇宙の現在の年令は百億年であるのはなぜかという 質問に対しては、それはわれわれがいるからだと答えるのである。このようなディッケの立場 を「弱い人間原理」とよぶ。
カーターの強い人間原理
カーターはさらに物理定数の値についてさまざまな考察を加えた。たとえばプランク定数、 光速度、基本電荷などが現在の値をとっているのは、もしそうでなければ炭素原子のエネルギ ー順位が変化し、炭素の原子価が変わって、生命を構成する有機物ができないからであると論 じた。このような立場を「強い人間原理」とよぶ。
空間がもし3次元でないとすると、安定な原子が存在しないことも知られている。このよう にわれわれの世界は絶妙のバランスの上に成り立っていることが分かる。それは神がそうした からではなく、そうでなければ人間が存在せず、人間が存在しなければ、認識されないのであ る。認識されない宇宙はあってもないのと同様である。こんな立場が人間原理である。