1.人間原理と時空の次元数
我々の住むこの世界は時間が1次元、空間が3次元の4次元時空である。なぜ4次元なのであろうか。この疑問に対する答え方にはさまざまなアプローチがありえよう。宇宙の始まりは10次元とか11次元とかのもっと高次元の時空であったのだが、宇宙の進化とともに現在のような4次元時空になったという、超重力理論とかカルツァー・クライン流の考え方もある。
しかしここでは、もしわれわれが4次元以外の時空に住んだとすればどんなことになるかという思考実験を行い、4次元時空がわれわれにとっては、最も住みやすい世界であることを示そう。こういった考えを人間原理と呼ぶ。人間原理とは現在の世界がかくかくしかじかの様相を呈しているのは、もしそうでなかったら、そんな世界は人間の生存に適しておらず、人間の存在しない世界はたとえあったとしても認識されないという考えである。
この考えは天文学で良く知られている選択効果のひとつの例である。選択効果とは観測には偏りがつきものであり、真の姿はその偏りを除いた後に知られるということである。たとえば星の明るさの分布を研究しているとしよう。夜空の星の明るさの統計を観測しただけでは、真の分布は得られない。なぜなら明るい星はより遠くのものまで見えるのに対して、暗い星は近くになくては観測できないからだ。だから観測しやすい明るい星を余計に数えてしまうことになる。つまり見えるものだけが見えるという簡単な事実の現れである。
それとどうように、宇宙とか物理法則もほんとうは様々な別の可能性があるのかもしれない。しかしそのなかで人間のような観測者を生む宇宙だけが観測にかかるのである。だから標語的に言えば、「なぜ4次元か、それは4次元でなくては人間が生存できないからだ」というのが人間原理による、当初の問題に対する回答である。こういった考えはホイットロー(Whitrow)により1955年に主張されていた。しかしこういった考えを抱いたのは彼だけではなかったのである。ここではそれを歴史的に述べよう。
2.3+1次元時空
さて、なぜ4次元が人間の存在にとって好都合であるのかもっとくわしく考えてみよう。ここでは時間と空間を区別して考えよう。すると問題は時間はなぜ1次元か、空間はなぜ3次元かという2つの問題に分離することができる。時間はなぜ1次元か。いったい2次元以上の時間を想像できるだろうか。時間は1次元の順序集合であるゆえに時間でありうる・・・と思う。2次元以上の時間はたったひとつの順序付けという性質を許さないので、常識的な意味での時間にはなりえない。というのが回答になるのかどうか正直なところ筆者にも分からない。そこで、ここでは空間の問題だけに話をしぼる。4次元の空間とか、もっと高次元の空間はSFでもお馴染みで想像はしやすい。
3.惑星軌道の安定性と3次元空間
空間の次元数と人間の関係を、安定な惑星軌道という観点から考えた人はたくさんいる。すでにカントも指摘しているように、ニュートンの重力の逆自乗則と空間の3次元性は密接に関連している。もし空間の次元数が4であったとすると、二つの物体の間に働く重力は、おたがいの距離の2乗ではなく3乗に反比例することは、ラプラスの方程式を解いてみればすぐに分かる。
19世紀にペリー(W.Paley)は、天体を巡る惑星の軌道の安定性と空間の次元数Nの関係を論じた。20世紀にはいってエーレンフェスト(P.Ehenfest)は、この問題を詳細に分析し、天体を巡る安定な軌道が存在するのはNが4以下の場合であることを示した。しかも軌道が閉じるための条件はNが0か3しかないことを示した。このことはタンゲリニ(F.R.Tangherlini)により、一般相対論の場合についても示されている。このことからして、われわれの空間が3次元でなければならないことがいえる。
さらに、ニュートンの重力理論が非常に有効である理由の一つとして、球状に分布した質量の及ぼす重力は、中心においた質点で表されるという事実がある。もしこの事実が成立しないとすると、天体の運行を計算することは極めて面倒なことになるであろう。。このようなうまい事情が成り立つためには、重力は湯川型のポテンシャルから導かれる力であるか、または逆自乗の力、ないしは距離に比例するような力の場合である。距離に比例するような力とは、一般相対論の言葉で言えば、宇宙項によるような力である。
ニュートンの重力理論に特有な性質として、一様な球殻の内部には力が働かないという事実がある。これが成り立つと、宇宙の遠くの出来事がここに重力的影響を及ぼさない。つまり太陽系の力学を研究するのに銀河の遠方の事情を心配する必要はない。
このようにニュートンの逆自乗則、つまり空間の3次元性は、惑星の安定軌道の存在などを通じて、人間存在と密接に関連しているのである。つまり空間が3次元でなかったなら、惑星は存在せず、したがってそこに住む人間も存在しなかったであろう。
4.原子の安定性と3次元空間
ここまでのべると当然次の様な疑問が生じる。電気力についてはどうなんだろう。良く知られているように、荷電粒子の間に働く力も重力と同様に逆自乗の法則に従う。だからもし空間の次元が3次元でなければ、電気力の法則が現在のものとは異なり、したがって原子の構造にまで影響が及ぶはずである。
エーレンフェストは半古典的なボーアの理論をN次元空間の原子構造に適用した。その結果、Nが5より大きい場合は、電子のボーア軌道が量子数とともに減少するという、通常とは逆の結論を得た。またこの場合、運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの和で表される全エネルギーに、極小が存在しないことも分かった。つまり5次元以上の空間では安定な原子は存在できないのである。4次元空間の場合も、特殊相対論の効果を考慮するとエネルギーの極小は存在しない。つまり3次元以下でないと、安定な原子が存在しないのである。
2次元空間の場合は、すべてのエネルギー順位が飛び飛びになり、基底状態の原子の半径はなんと5ミリにもなる。平面の国に人間がいたとしたら、とても巨大な体をしているはずである。
以上の話は半古典的なボーアの理論に基ずいた理論である。さきのタンゲリニとソ連のグレビッチ、モステパネンコ(L.Gurevich & V.Mostepanenko)は、N次元空間におけるシュレディンガーの波動方程式をとき、上の問題を量子力学的にきちんと定式化した。その結果でもボーア理論と同じく、4次元以上の空間では安定な原子は存在しないことが分かった。
原子が存在しない世界では、化学化合物が存在できず、したがって化学化合物でできている化学者も存在しないことになる。このように電磁気学における逆自乗則、ひいては空間の3次元性と人間の存在は密接に関連していることが分かった。
5.2次元生物はいるか
以上の議論から明らかになったように、4次元以上の空間は人間の存在にとって好ましくない。しかし2次元空間はどうであろうか。つまり平面とか球面の世界である。もし我々人間の体を2次元世界で考えると奇妙なことになる。人間の体には口から肛門まで消化管が通っている。こんなことは3次元の世界だからできることで(4次元以上でもまかわないが)、2次元世界の住人は消化管でふたつに分離してしまう。
人間の脳とかコンピュータは、神経細胞とか半導体が複雑なネットワークを組むことにより情報処理を行っている。ところが2次元世界では、素子は隣どおしとしか手を結ぶことができないので複雑な情報処理ができないであろう。つまり2次元世界の住人はいたとしても、あまり賢くはないはずだ。逆に4次元以上であると、より複雑なネットワークを組むことができる。実際、われわれの3次元空間においても、ハイパーキューブという超立体のようにネットワークを組むことにより、優秀なコンピュータが作られている。
6.ハイファイと次元数
波動の伝播について考えてみよう。波動方程式を空間1,2,3次元の場合に解いてみる。ある点における波動の強さを決定する式は1次元の場合はダランベール、2次元の場合はポアッソン、3次元の場合はキルヒホッフの公式で表される。ある点のある時刻における波動の強さは、解の依存域とよばれる領域から決定される。1次元と2次元の場合、依存域は光円錐とt=0でのある直線(1次元)または円盤(2次元)でかこまれた領域である。ところが3次元の場合の解はt=0における球面上の条件で全てが決まる。つまり1,2次元の場合、いろんな時刻に発射された信号が同時にある点に伝わることを意味している。つまり残響のような効果が生じるのである。このことは一般の偶数次元の空間においても成り立つ。そんな場合は、まともな音楽は成立しない。
また信号の形自身を見ると、空間の次元数が4以上の場合は、波の伝播と共に波の形が変形していく。ハイファイではないのである。たとえばわれわれが4次元空間におけるザ・シンフォニーホールにいたとしよう。そこの特等席は会場の真ん中あたりではなく、最前列である。なぜなら音は伝わっていくうちに、その形がどんどん変形していくので、最後部の席ではもとの音楽の姿を留めていないからである。音楽ファンに取っては、われわれが3次元空間に住んでいることに感謝すべきであろう。
音楽程度であればまだ生命に別状はないかもしれない。しかしテレビもラジオも4次元以上の世界では成り立たない。もし信号の伝播ということが生命や知性の存在に根本的に重要であるとしたら、4次元以上の空間には知的生命が存在しないことになるであろう。物理数学の教科書で有名なクーランとヒルベルト(Courant & Hilbert)は書いている。「音波とか電磁波が信号の基礎となっているわれわれの世界は、単純さとか調和という点で、他のありうる世界とは異なっているのである。」
7.次元解析の有効性
物理学をかじったものにとっては、次元解析という手法を習った時に、その不思議な効果に感心するのではあるまいか。いちばん良い例は、振り子の振動における周期の公式である。振り子の振動周期は
周期=2π(振り子の長さ/重力加速度)1/2
である。この公式はニュートンの運動方程式をきちんと解けば求めることができる。しかし、問題にあらわれるさまざまな変数、振り子の長さ、重力加速度、振幅などを考慮して、それらの組み合わせから時間の次元( 単位) をもつ量の組み合わせを考えると、上の公式から2πを除いた式が得られる。こういった手法を次元解析とよぶ。次元解析がうまくいくのは、上の公式において次元解析からはきめることのできなかった量2πが、1の程度の数だからである。もしこれが2πでなくて( 39π) というような数字であったなら、1よりはるかに大きいのだから、次元解析はあまり有効ではないであろう。
ところでここにあらわれる2πという数は、半径1の円の円周の長さである。一般に次元解析に現れる定数は、このように円や球の円周とか面積、体積といったものである。それでは3次元空間以外の空間では半径1の超球の表面積や体積はどうなるのであろうか。実はこれらの値は、Nが4よりずっと大きい場合、1よりずつと小さいのである。つまりそんな空間では次元解析は有効ではない。物理学者は3次元空間に住んでいる幸せを噛み締めるべきである。
8.おわりに
このほかにも3次元空間特有の性質はいろいろある。そのなかには生命の存在にはあまり本質的ではないものもあるが、惑星軌道の安定性とか、原子の安定性は正に生命の生死にかかわる重大事である。われわれがこんなことをいつておれるのも、読者がこの一文をよめるのも、すべてこの空間が3次元だからである。3次元空間に対して、朝に礼拝、夕べに感謝。アーメン!
参考文献
この1文をしたためるのに次の本を参考にした。
Anthropic Cosmological principle, J.D. Barrow and F.J. Tipler, Clarendon Press Oxford, 1986.