もうかなり前になるが、私は大学院における研究指導者であった佐藤文隆さん(現京都 大学理学部教授)と宇宙論の本を書いた。幸いにしてその本は好評を博したようで、いろ いろの読者からの反応があった。その中には、自分の宇宙論とかいろいろな理論を展開し て、送ってこられる人が何人もいた。宇宙にはだれもが興味を持つので、だれでもいちど は考えてみることはあるだろう。宇宙は有限か無限か、宇宙に始まりはあるか、始まりの その前はなにか、興味をそそる問題はいくらでもある。送ってこられた物には手書きの原 稿、ワープロの原稿、なかには自費出版した本まであった。それらの「理論」の程度は玉 石混交であるが、無意味なものが多かった。
一番の問題は、現代物理学は数学という言葉で語られるのだが、その基礎的訓練をこれ らの人々は受けていないということであった。実際、私自身についても思いあたるふしは ある。高校生の頃、アインシュタインの一般相対論という言葉を知って、非常に興味をも ち、啓蒙書の類をたくさん読んだ。しかし、本当に理解しようと思って専門書を読むと、 テンソルを始めとする難解な数学がでてきて、ギブアップしたものだ。それでも、そのう ちにいつか「相対性理論」を超える「絶対性理論」を作ってやると空想したものだ。 啓 蒙書の意味は正に啓蒙するという点にある。それを読んで、国民の知的レベルが高まるの は良いことだ。実際、私が科学の道にすすんだのも、啓蒙書に負うところが多い。しかし、 啓蒙書は数式を用いることができないので、どうしても言葉だけで説明せざるをえない。 啓蒙書の危険性は、それを読んだだけで真の学問的議論に参加できると、錯覚させるとこ ろにある。
しかし今になって言えることは、宇宙論にしろあるいはどんな現代科学にしろ、数学を 始めとする基礎的な技術を身につけることなしには、真の意味での理解はできないという ことだ。たとえていえば、数学は外国語のようなものである。外国語を知らずに外国人と 話はできない。人間の本性は民族によらないなどといってみても、簡単な意志疎通以上の 複雑な話はできない。外国語はひとつの技術であり、練習しなければ習得できない。それ と同様に、たとえば宇宙論や一般相対論も、数学や物理学といった外国語をマスターしな ければ、寝ころんでいくら考えても、真の理解はできない。それなしに宇宙論を議論する ことは、たとえてみれば、ピカソの絵を見て、あれならだれでも描けるというようなもの だ。
こんなことを書くのはいやみなことは十分承知している。しかし最近、少しは名のある T書店から、ホーキング宇宙論はウソであるという、素人の書いたまったくナンセンスな 本が出版されたからである。連載の第1回目に書いたように、ホーキングの宇宙論自体は 観測的にも実験的にも、現在は確認の範囲外にあるので、これが本当かどうかは分からな い。しかし、この本はホーキングの宇宙論というよりは、アインシュタインの相対論を始 めとする現代物理学の全否定なのである。というよりはむしろ、素人が啓蒙書をたくさん 読んで、現代物理学を理解(誤解?)しようとした努力の成果と見ることもできる。ご丁 寧にも、佐藤さんにたいする公開質問まである。しかし話す言葉がまったく異なるので、 佐藤さんにも相手を納得させるように答えることはできないであろう。UFOや超能力を 語る科学を疑似科学というが、これは疑似宇宙論とでもいおう。以前、この著者は今は廃 刊になった通俗科学誌O誌に同様な文を書き、新聞で「若い人には有害きわまる本」とま で書かれたそうだ。私は著者には責任はないと思うが、一般読者にはなにが玉でなにが石 なのかを見分けるすべはないので、問題は出版社の社会的責任である。
この本は誤解、曲解、無理解の集大成であるが、誤りの例をすべてのべる訳にもいかな い。しかしマイナスの数、虚数に対する無理解などどうしようもない。実数と虚数を合わ せた複素数を使用しなければ、量子力学や電磁気学はなりたたない。これらなくしては、 現代のエレクトロニクスは成立しない。単なる数学的テクニックにすぎないと思われる複 素数が現代文明を担っているのは驚くべきことではあるが、それだけ数学には威力がある ということだ。もっと勉強せなあかんで!