相対論のことをこの短い一文のなかで、すべて解説することは不可能である。書店にいけ ば相対論に関する本は、それこそ山のようにある。式をつかった本格的な教科書、式をも ちいないで分かりやすくすることを心がけた通俗書、漫画を用いたもの,Q&Aの形式を とったものなど様々である。なかには相対論は誤っているというような、誤った疑似科学 の本もある。本解説ではどうしてそのような誤解が生じるのか、はたして相対論はそれほ どあやふやなものなのか、そこらに焦点をあてて解説したい。
1.相対性原 理と相対性理論
アインシュタインの相対性理論を相対性原理ということも あるが、それは厳密な意味では正しくない。相対性原理はニュートン力学でも成立するの である。相対性原理を意識的に強調したのはガリレイである。ガリレイは止まっている船 のマストからであろうと、静かに動いている船のマストからであろうと、石を落とすと真 下に落下することに注意した。現代流に言えば、揺れずに走っている新幹線の中で爪きり を落としても、プラットホームで落としても、爪きりは真下に落下するということである。
このようにある座標系(観測系)でおきるのと同じ現象が、別の座標系でも起きること を相対的であるという。生じる現象が同じということは、現象を支配している物理法則、 およびそれを体現する物理方程式も同じだということだ。ある座標系から別の座標系に移 ることを座標変換とよぶ。座標変換した場合に方程式の形が、変化しないことをその方程 式は座標変換に対して不変であるという。つまりこのことが、相対性原理の要点なのであ る。
いきなり難しい話になってしまった。ようするに、ニュートン力学の方程式もそのよう な形になっているというので、ニュートン力学は相対性原理を満たすといいたかったので ある。もう少しお付き合い頂きたい。ニュートンの運動の3法則というものがある。
1.力を受けない物体は等速直線運動をする。
2.作用と反作用は大きさが等しく 方向が反対である。
3.運動量の時間変化は力によって及ぼされる。
この3番目の法則がもっと も重要で、これがニュートンの運動方程式と呼ばれるものであ。実は法則1、2は3から 導かれる。3において運動量とは質量と速度をかけたものである。いま質量が変化しない なら、速度の時間変化量が加速度であることに注意して、
質量×加速度=力
という見慣れた方程式を得る。これが普通の意味でのニュートンの運動方程式である。 いま、力が働かないなら、加速度がゼロとなって、物体は等速直線運動をする。つまり 法則1が導かれる。2も力を及ぼし会うふたつの物体に、法則3を適用すると導ける。
ところで、このニュートンの運動方程式が成立するのは、慣性系においてである。慣性 系とは、力を及ぼさない物体が等速直線運動する系である。おやおや、どうどうめぐりの 定義ではないか。しかし、物理ではこんなことも許されるのである。
慣性系のひとつの例は、無重力状態にあるスペースシャトルの内部である。そこでボー ルをついと押すと、そのまま等速直線運動をするビデオを見たことがある。スペースシヤ トルの例は、本当は局所慣性系とよばれるもので、以後の議論には適切でない。慣性系の 例としては、星から遠くはなれた宇宙空間でも想像してみよう。そこが慣性系である。さ てその慣性系に対して等速直線運動をしている座標系も、慣性系である。ニュートンの運 動方程式はこの慣性系でも成立する。このことをガリレイの相対性原理とよぶ。また慣性 系から別の慣性系への変換をガリレイ変換とよぶ。
2.電磁気学の出現とマクスウエルの方程式
ニュートンの力学が全てであった時代は、物理学者は ハッピーであった。世界の全てが分かったと物理学者が誤解した時代もあった。しかし1 9世紀になりファラデーたちが、電磁現象の解明に乗り出し、マクスウエルが電磁気の基 本方程式を完成するにおよんで、この平和な力学時代は終焉したのである。マクスウエル の方程式を解いてみると、電磁波の解が得られる。その速度も計算され、それは観測され ている光の速度に一致した。光とは電磁波の一種であったのだ。
ところでこのマクスウエルの方程式に、先のガリレイ変換を施すと、式の形が変わって しまう。つまりマクスウエルの方程式には、ガリレイ的な相対性原理は成立しない。これ ははなはだ面白くない。それではいったいマクスウエルの方程式が成立するのはどのよう な座標系なのか。全宇宙に対した絶対静止系のようなものがあれば、それが第一の候補と なる。天動説の時代ではないのだから、われわれがその静止系に対して静止しているとい うことはないであろう。実際、地球の自転速度は秒速460メートルであるし、太陽を巡 る公転速度は、秒速30キロメートルである。最近の観測では、太陽系の宇宙黒体放射に 対する速度は秒速600キロメートルにも上る。したがって、われわれの座標系では、も ともとのきれいなマクスウエルの方程式からのズレが存在するはずである。もっと具体的 にいえば、光の速さが、方向や季節によって異なることがあるはずだ。光速度は秒速30 万キロメートルもあり、先に述べた速度は、これよりはるかに小さい。しかし、19世紀 の技術をもってしても十分、測定可能な量なのであった。
そこでこれを測定しようとしたのが有名なマイケルソンとモーレーの実験である。実験 の詳細はここではさて置くとする。その結果、光の速度は方向にも季節にもよらず、常に 一定の値をとることが分かった。これはニュートン力学を信奉する人間にはショックであっ たかもしれないが、しかし他方、マクスウエルの方程式にも相対性原理が成立するという、 うれしい知らせでもある。先に述べたように、マクスウエル方程式にガリレイの座標変換 を施すと、式の形が変わる。そこでマクスウエルの式の形が変わらないような変換を、ロー レンツが導いた(ローレンツ変換)。これが慣性系の間の正しい座標変換であったのだ。 ちなみに、ローレンツ変換の式で、速度が光速度に比べて十分小さいとすると、ガリレイ 変換が導かれる。
さてことは、これだけではすまない。ニュートンの方程式にローレンツ変換を施すと、 式の形が変わってしまう。ニュートンの方程式を取るべきか、マクスウエルの方程式を取 るべきか。あるいは、ガリレイ変換を取るべきか、ローレンツ変換をとるべきか。光の速 さが一定、つまりマクスウエルの方程式に相対性原理が成り立つことは実験事実である。 それは非常な精度まで確かめられている。ニュートンの運動方程式も、実験事実であるが、 粒子の速度が光速度に近い場合にまで正しいという保証は、それまでになかった。相対性 原理はとても魅力的であるので、電磁現象のみならず、力学現象に対してもなりたってほ しい。そこでニュートンの運動方程式を少し書き直して、ローレンツ変換に対して不変な ようにあらためよう。この考えに基づいて導かれたのが相対論的力学である。
その結果、導かれた結論として有名な質量とエネルギーの等価性がある。これについて は後述する。このようにしてアインシュタインは1905年に特殊相対論を提案した。こ の理論は、これから述べるように量子力学とならんで、20世紀でもっとも重要な物理理 論となったのである。
3.量子論と相対論
20世紀の物理理論でもっとも革命的なものは量子論と相対論であるということに異論 のある物理学者はいないであろう。量子論はプランクによって創始されたけれども、ボー ア、シュレディンガー、ハイゼンベルク、ディラック、パウリなどといった多数の天才た ちによりひきつがれ、いわは多数の共同作品であるといえる。それに対して、相対論はほ とんどが、アインシュタイン一人によって基礎を築かれたという点で、大きく性格が異なっ ている。相対論は特殊相対論と一般相対論に分けることができるが、そのどちらもがアイ ンシュタインの作りだしたものなのである。
量子論も相対論も、それ以前 の物理学を支配していたガリレイ、ニュートンの力学とは矛盾する。矛盾という言葉は厳 密にはよくないかもしれない。量子論も相対論も、ある極限としてニュートン力学を含む からである。具体的にはプランク定数がゼロの極限で、量子論はニュートン力学になるし、 光速度が無限大の極限、あるいは光速度に比べて遅い速度の極限で特殊相対論はニュート ン力学になる。また一般相対論は重力を無視した極限で、特殊相対論になる。このように、 より新しい進んだ理論が、旧来の理論をひとつの極限として含むという考えは、それ以後 なんらかの新理論を構築する上での参考になっている。
量子論も相対論も 常識的には分かりにくい理論である。それがわれわれの日常経験的な常識と、一見、矛盾 するようにみえるからである。特に、量子論はそうである。アインシュタインは、相対論 にたいする寄与にたいしてではなく、光量子仮説という量子論に対する寄与によってノー ベル賞を与えられた。そのアインシュタインですら、「神はさいころを振らない」として 量子力学のコペンハーゲン解釈には終生、反対したといわれている。相対論においても 「運動している物体の長さは短くなる」「運動している時計の進みは遅れる」という、 「一見」常識に反する結論によって、分かりにくいものになっている。したがって、相対 論は間違いだというような、俗説が一部、世間にはびこっている。そのような間違った本 が、ある程度名の通った出版社から出版されたり、さらには一時は、ベストセラーの一部 をしめた時すらある。これら「疑似科学」の隆盛はなにに起因するものであろうか。
4.疑似科学の跳梁跋扈
私の見解では、相対論よりは量子論のほうが、より常識に反するように思えるのだが、 量子論が間違っているとする俗説は、あまり耳にしない。それは第一に、量子論は極めて とっつきにくく、通俗書をよんでもなかなか分かった気になれないこと、極微の世界のこ となので、われわれの常識が通用しないといわれても、「そうかもしれないね」と受け入 れる余地があるからであろう。実際、量子論に反対することは天につばすることになるの である。量子論は理論の分かりにくさとは裏腹に、我々の現代生活と密接に関係がある。 たとえば半導体の理解は量子力学なしにはありえない。半導体がなければ、テレビもCD もコンピュータも、みんな有り得ない(真空管式のものはよいが、真空管でも量子力学が 基礎になっている)。原子力発電の理論は、量子力学なしには成立しない。超伝導磁気浮 上列車が実験され、計画されているが、超伝導理論は量子力学そのものである。したがっ て、量子力学を否定することは、現代科学技術を否定することになるのである。
さきにあげた疑似科学のある本で、ホーキングの提案する虚の時間に関連して、「二乗 すると負になる虚数のようなものは存在しない」という、おどろくべき無知をさらけだし たものがあった。虚数、複素数は、数学の一つの手段、方便ともいえるが、これを否定し ては、そもそも大学で学ぶ数学の大部分は崩壊するし、それにのっとった現代技術も崩壊 する。量子論の基礎となる波動関数は、複素数そのものなのである。複素数を否定するこ とは、量子力学の基礎を否定することになる。たとえば、今「複素数を使用するものは火 焙りにする」というようなお触れが、ある国で出たとすれば、その国の科学は崩壊して、 したがって技術も経済も崩壊することになり、国民は塗炭の苦しみを味わうことになるで あろう。疑似科学が単に、面白半分のあいだはよいが、たとえばかつてのソ連のルイセン コ学説のように、権力と結び付いて国の方策になった場合は、科学技術の崩壊を通じて、 その国に計り知れない害悪をおよぼすことは実験済みである。アメリカでも進化論を否定 して、聖書の創造説を教えることを強要するキリスト教の一派が、政治的な影響力を持っ ている州がある。もしこれが、アメリカ全体の方策となれば、アメリカの生物学は崩壊す る。それで損をするのは、アメリカ国民である。
昨年1993年の9月2日の朝日新聞の朝刊で、池内了阪大教授が「見過ごせぬ疑似科 学出版、明確な誤り、堂々と単行本に」と題して上のような疑似科学の本の跳梁跋扈を憂 えていた。そのような疑似科学理論は山のようにあるのだが、問題はそれをある程度名の 通った出版社が、出版することにあり、それは出版人の堕落であると、池内氏は決め付け ていた。普通の人々は、立派な装丁の本に書かれていることであれば、信用してしまう。 これらの本が誤りであることは「彼らの本の始めの5 ページ内に発見でき程度なのだから」 といわれている。実際、私がこれらの本を知ったのは、ある大学の物理学教室に講演に行っ たときに、そこの教授が笑いながら、その本を示し同じことを言われた時である。これら の本の著者は通俗本はよく勉強しているようである。そして、自分で分かった積もりになっ て、相対論は常識に反するとか誤っているという、誤った結論を出す。もっとも先の教授 が笑ったのは、言葉を間違えて使っていたことである。もうちょっと、通俗書をきちんと 読めというのが、我々の一致した結論であったが。
問題の多くは通俗本は数式を使わずに、言葉だけで済ませようとすることにある。たと えば、本解説もそのような通俗的解説である。私は始め、式をいっぱい使った解説を書い たのだが、編集者との話し合いで、式を無くするように言われたのだ。そこで急遽、書き 直したのがこれである。実際、通俗本に式を一行入れると、読者が半減するという「公式」 があるとは、たしかホーキングが本を書く際に与えられた助言だと聞いた。それでホーキ ングは式を一切使わずに、あのベストセラーを書いたのだが、しかしあの本の内容を真に 理解した人は何人いるであろうか。私の見るところ、ホーキングの理論を真に理解してい るのは、世界でも数十人いたらよいほうだと思う。その人たちは、ホーキングと同じ興味 をもち、式を駆使した論文を読める一部の専門家である。そのまわりには、何百人という、 ホーキング理論を鑑賞できる別の専門家( その問題とは別のことを研究している相対論、 宇宙論、素粒子論の研究者) がいる。さらにそのまわりには何千何万人かの物理学者がい る。
いずれにせよ、現代の物理理論を議論するには、式の使用は不可避である。数式とは自 然科学のための一種の言語である。たとえばイギリス人と話すのに、彼が日本語を話すか、 こちらが英語を話さなければ意思は疎通しない。身振り、手振りでもある程度の意思の疎 通は可能であるが、政治の話とか芸術の話とか、ようするに込み入った話はできないこと は明らかであろう。物理学における数式もそのようなものである。数式を書けば一行で済 むところを、言葉ではなかなか分からないということだ。「百聞は一見にしかず」という ように、「百言は一式にしかず」なのである。だから、式の書いてない通俗書を読んで、 その理論を理解したというのは、思い上がりである。
しかし疑似科学の信奉者に事の理非を説いても始まらない。それは一種の思い込み、あ るいは宗教のようなものであるからだ。複雑な式を真に理解できるものならば、説得も可 能であろう。しかし式なしに、それをやれといわれても、なかなか難しいものがある。私 は、ここでは論より証拠、特殊相対論は、それほど現代物理学に組み込まれていることを 示そう。もし特殊相対論が正しくないということになれば、現代科学は殆ど崩壊するので ある。
とはいっても、私はゴチゴチの数式信奉者ではない。どちらかというと、数式のある本 や論文は避けたいほうなのである。私が英語が読めるからといって、英語のニューズウイー クを読まないで、その翻訳を読むのも、やはり面倒は避けたいからである。物理学者にも 直観派と数式派がいる。たとえば先のファイマンは直観派でダイソンは数式派であるとい われている。アインシュタインは数学が得意でないとは、アイルランドの相対論の大家シ ング教授の言葉であるそうな。実際、特殊相対論を直観的に非常に分かりやすいようにし たのは、数学者のミンコフスキーの功績であった。一般相対論の構築に当たっても、友人 で数学者のグロスマンの援助がなければ容易ではなかったろうといわれている。
数式よりも直観が大事だともいわれている。しかし、それは理論を導く場合であって、 導かれた理論は数式を使って書かれているのである。なにごとにも極端はいけないので、 数式しか信じない数式信奉者も、数式を一切使わない( 使えない) のも問題である。
5.特殊相対論は正しい
さて、相対論は量子論ほどには、現代科学技術に直接の関係が薄いように思える。特殊 相対論が重要になるのは、粒子の速度が光の速度に近い場合である。そんなことがおきる のは普通は、素粒子の世界である。素粒子を光の速さ近くに加速して、他の素粒子にぶち あてることで素粒子の相互作用や内部構造を研究する。そんな装置を加速器とよび、そう いう学問を高エネルギー物理学という。つくばの高エネルギー研究所、スイスの欧州原子 核研究機構(CERN)、アメリカのフェルミ研究所などには、巨大な加速器があって、 高エネルギー物理学の最先端を担っている。ブッシュ大統領時代に計画されたSSCとい う世界最大の加速器は、クリントン大統領の時代になって、そのあまりに膨大な費用のた め否決された。ところでこれらの加速器の中を走る素粒子の速度は光の速度に極めて近い ので、特殊相対論の効果が大きく効いてくる。もしこの効果を正しく計算にとりいれない と、粒子の軌道を正確に計算することはできない。従って、加速器の設計もできないし、 実験を正しく行うこともできない。特殊相対論否定論者がもしSSCの設計を任されたと したら(そんな計算力があると仮定して)、まともな加速器ができるはずもないので、1 兆円をドブにすてることになるであろう。最近、友人から聞いた話では、光ファイバーの 研究に特殊相対論の知識が必要になるとのことであった。もしそうであれば、加速器より はもっと身近なものであるので、特殊相対論のありがたみが分かるようになるであろう。
実際面はともかく、理論面に限定すると、特殊相対論は現代素粒子論と密接にかかわっ ている。ハイゼンベルクやシュレディンガーの作り上げた量子力学は、非相対論的なもの である。ディラックはそれを特殊相対論と融合しようとして、ディラックの方程式を導き、 ディラックの電子論を作り上げた。ディラックの電子論を研究するなかから、反粒子とい う概念が導きだされた。電子に対して陽電子、陽子にたいして反陽子というように、あら ゆる素粒子には反粒子が存在することが、理論的にも実験的にもあきらかになった。先に あげた、加速器のなかでは反粒子が日夜、生産されている。反粒子をもちいてロケットを 作ろうという野心的な計画すらある。反粒子の存在こそ、特殊相対論の正しさの証明であ る。
また特殊相対論の帰結の一つに、エネルギーと質量の等価ということがある。有名な E=mc2 という式である。この式の意味することは、ある質量が消滅すると、それに応じた エネルギーが発生するというものである。原子力が石炭や石油に比べて巨大なエネルギー を生み出すのは、このためである。この式の正さをわれわれ日本人に悲劇的にも教えたのは、 あの原子爆弾であった。いっぽう、太陽が輝いて、地球上のあらゆる生物が生きていける のも、この式のためである。太陽の内部では、水素が核融合して、ヘリウムに変わりつつ ある。そのエネルギーの源は、ヘリウムの原子核と水素の原子核4個の質量の差なのであ る。
量子力学の発展は、その後、場の量子論の方向に向かった。あらゆる粒子は「場」とい うもので記述され、それを量子化したものが粒子である。ハイゼンベルクとパウリは場の 量子論を作り上げたが、それは非相対論的なものであった。それを相対論的にした「相対 論的場の量子論」が現代素粒子論の基礎である。理論を組み上げる際の基本方針に、相対 論的不変性という要請がある。式は相対論的に不変に作らないといけないという要請だ。 相対論的不変とは、その式にローレンツ変換を施しても、形が変わらないということだ。 これをローレンツ不変ともいう。ローレンツ不変とは、ある慣性系で、ある式が成り立っ たとして、その慣性系に対して等速度で一定方向に運動している別の慣性系においても、 その式が成り立つということである。先にも述べたように、相対論的不変を言葉でいって も、なかなか分かりづらいと思う。式を書けば一発だ。式を書いたあとで、それはこうい うことだと、言葉でいうのは、理解の助けになる。しかし、言葉だけで言い表すことは、 なかなか難しい。
さて、場の理論には発散の困難というものがあり、なに かの計算をすると、無限大という答えがでてしまう。それにたいして、朝永、ファイマン、 シュヴィンガー、ダイソンたちの発明した繰り込みという手法によって、なんとか回避さ れ有限の正しい答えを得ている。計算量が無限大になる原因の一つに、場の量子論では素 粒子の大きさがゼロであるという問題がある。それでは素粒子に大きさを持たせればよい のであるが、これが特殊相対論の制限のためなかなか困難なのである。特殊相対論では、 大きさをもった物体を理論に組み込むのが困難である。ニュートン力学にはある、大きさ を持った剛体という概念も存在しない。特殊相対論は、そのあまりの正しさのために、素 粒子論の発展を難しくしているともいえよう。しかしさまざまな困難を抱えながらも、 特殊相対論に基づいた現代の素粒子論は基本的には正しい。まともな研究者で特殊相対論 に疑義を唱えるものは、一人もいない。
6.特殊相対論は常識に反するか
特殊相対論の通俗書によく書いてあることに、「運動している物体は縮む」ということ と、「運動している時計は遅れる」ということがある。これが常識に反すると、一部には いわれているのだが、はたしてそうであろうか。いま時速300キロメートルで走ってい る新幹線列車を考える。その列車の長さを簡単のために、100メートルだとすると、そ れが相対論的効果のために縮むのは、1兆分の4メートルほどである。これはほぼ原子の 10分の1程度の長さである。いったいこんな長さの変化が「常識に反する」とどうして 言い切れるか。そもそも100メートルの電車の長さを精密に測定して、どれだけの精度 で測れるというのか。とても普通は原子の大きさの精度はでないであろう。巻尺で測れば、 数10センチの誤差がでてもふしぎではない。それも静止している電車の場合である。そ れを時速300キロメートルで走っている電車の速さをどれだけの精度で測れると思って いるのか。だから、特殊相対論では、電車の長さが1兆分の4メートル縮むといっても、 それをひとことで常識に反するというのは、常識のない証拠である。
とはいっても、物の長さをそのような精度で測れないといっているのではない。よく考 えられた手法を用いれば、原子の長さよりもはるかに短い精度で、ものの長さを測ること は不可能ではない。実際、重力波計というものは、そのような精度でものの長さを測定す るのである。ここで物の長さを測るとは、どのようなことか考え直す必要がある。電車が 止まっているときは、それは原理的には簡単である。電車に長い物差しをあてて、その両 端の読みを読んで、その差をとればよいのである。実際は、物差しの温度による伸び縮み とか、もろもろの測定誤差はあるであろうが、ここでは原理的な考察なので、測定誤差の ことは無視する。測定は原理的には一人でも出来る。
ところが運動してい る電車の場合は、ことはそれほど簡単ではない。この測定は一人では絶対できない。線路 脇に長い物差しを用意する。電車がやって来たときに、ある時刻に電車の先端部の読みと、 後端部の読みを読み取り、その差を計算する必要がある。ここで重要なことは、先端部を 読む人と、後端部を読む人が、同時に測定をしなければならないということである。もし 同時でないなら、長さはどんな値にでもなりうる。負の値にすらなりうる。1秒違えば83メートルの誤差がでるのである。
それではどうすれば、同時に測定できるのであろうか。それには二人の時計を合わせて おいて、しかも測定時刻を予め示し合わせておく必要がある。どうすれば、二人の時計を あわせることができるであろうか。ふたりがそばによって時計を合わせて、それから持ち 場に着くということもある。普通はそのようにするであろう。しかしことは、1兆分の4 メートルの程度の測定をするのであるから、時計あわせも慎重にしなければならない。 100兆分の5秒の精度が必要なのである。時計を合わせてから、持ち場に着くまでに時 計が狂うということもありうる。一番確かな方法は、ラジオの時報を聞くことであろう。 しかしラジオの電波といえども、速さは有限なのである。100メートルを電波が走るの に、10億分の3秒もかかってしまうのである。要求される精度の10万倍も粗いものだ。 ともかくも、時計を合わせるには、電波つまりは光を利用する必要がある。ということは、 同時という概念と光の性質は密接に結びついていても不思議ではない。つまり同時という 概念を、光の性質を用いて定義するのならば、光速度不変の原理を戴く特殊相対論で、運 動する物体の長さが、前記の如く多少短くなったとしても、それが常識に反するとはいえ ないのである。
7.一般相対論は正しいか
特殊相対論の話をするだけで、ほとんど紙数を使い尽くしてしまった。一般相対論のこ とはざっとふれるだけにしよう。特殊相対論の特殊という意味は、慣性系においてのみ成 り立つ理論ということだ。慣性系に対して等速直線運動をしている座標系に移動してもよ いが、加速運動している座標系に移動することはできない。これでは回転運動すら扱えな いので応用が限られる。アインシュタインは特殊相対論を一般化するのに10年の年月を ついやした。こうして1915年に発表されたのが一般相対論である。一般相対論は、 ニュートンの万有引力の法則を拡張した重力の理論である。ここではただ、一般相対論が どの程度検証されたかについて、簡単に述べよう。
アインシュタインが一般相対論の検証としてあげた3つのテストがある。1)太陽近傍 での光の湾曲、2)水星の近日点の移動、3)重力場中での時計の遅れである。1につい ては、英国の天文学者エディントンがアフリカと南アメリカに日食観測隊を送って確認し たことは有名である。2は水星軌道の太陽にもっとも近い点(近日点)が1世紀に角度に して43秒、ニュートン理論の予言よりずれるという現象である。アインシュタインは1 915年11月に、彼の発明した一般相対論が、この43秒という値をドンピシャリと予 言することを知って狂喜したといわれている。もっともこの話は、それほど簡単ではなく、 1966年になってアメリカの相対論学者ディッケがクレームを出した。太陽の内部が高 速度で回転しているとすると、太陽は偏平になり、その効果を考慮すると、一般相対論よ り3秒ずれるというのである。その3秒はブランスとディッケの発明した理論、アインシュ タインの一般相対論のある種の拡張理論で説明できるという。しかし現在までの研究では、 ブランスとディッケの理論のほうが良いという積極的な理由はないというのが、学界のコ ンセンサスである。3にかんしては、ハーバード大学の塔で実験されており、1パーセン トの誤差の範囲で一般相対論の予言と一致する。また世界一周する、飛行機に時計を乗せ て、その時計の遅れ、進みを原子時計で測定して、よい結果を得ている。これらの話は、 筆者が翻訳した「アインシュタインは正しかったか」クリフォード・ウイル著、松田卓也、 二間瀬敏史訳、TBSブリタニカ、に詳しい。
本解説を要約して、各理論 に確かさの点をつけるとすれば、特殊相対論は100点満点であるが、一般相対論は99 点くらいである。つまり一般相対論でない、まともな重力理論も、さまざまなまともな研 究者により提案されてきた。先の本にも述べられているように、特殊相対論とは異なって、 一般相対論は、すべての研究者に完全に受け入れられたわけではない。種々の拡張理論、 亜流理論が提案されてきた。しかし、いままでのところ、一般相対論ではだめという証拠はひとつも上がっていないといえる。
いっぽう、一般相対論の応用としてのビッグバン理論になると、それに反対するまとも な研究者もいるわけで、まああえていえば、90点くらいであろうか。さらにホーキング の提案している宇宙の始めの理論なんかになるとは、現在のところ観測的に確認する手だ てもない。ウソともホントともなんともいえない。50点か、あるいはそれより下であろう。
さまざまな理論には、完全に確立したもの、ほぼ正しいが完全ではないもの、ウソかホ ントか分からないもの、などさまざまな段階がある。それをミソもクソもいっょくたにし て、間違いだとかなんとかいうのは、不勉強もはなはだしい。