年令の上では厄年はとっくにすぎたのであるが、今年(1991)は私にとっては厄年であった。二 度も安井病院に入院するというはめになったからである。一度目は二月で、そのときは1 週間強であったが、二度目は7、8月と二箇月にもおよんだ。どちらもおなじ病気で潰瘍 性大腸炎である。この病気は下痢と大腸からの出血が主な症状である。出血の原因で多い のは痔であるが、恐ろしいのは大腸ガンである。ガンでなくてよかったようなものだが、 この病気はけっこうやっかいなもので、原因は知られていない。一度目の入院はたいした ことがなく、いわば用心のためであったが、二度目はけっこう悪く、日に15回もトイレ に通うという目にあった。原因が分からないので、治療法も対象療法で、下痢にたいして 点滴で水分を補給するのが普通である。二度目の入院の時はそれだけでは済まず、食事を 一切中止して、大腸を擦らないようにするというものであった。胸に穴をあけて中心静脈 に点滴の管をとおし、24時間連続的に点滴で栄養補給をするのである。トイレに行くと きは点滴用のパックを頭上に持ち上げていくという方法をとった。下痢症状以外はけっこ う元気で、意識はしっかりしていた。栄養は計算された分だけあるが、胃に食物が全然な いので非常に空腹であった。そこで考えることは食物のことばかりであった。家内や秘書 に料理の本や、食べ歩きの本を持ってきてもらって熟読した。机上の空論的料理理論に通 暁してしまった。新聞のチラシ広告で、スーパーの食物の写真を眺め暮らした。見舞いに 来る院生諸君と、退院後の食べ歩きのことなど食事の話ばかりをした。雑誌の編集者とラ ーメンに関する手紙のやりとりをし、ラーメンの本を読んだ。このように考えることは食 べることのみであった。ふだん元気なときは見過ごしている幸せ、つまり食べたいものが 食べられるという幸せを痛感した。これは食べることには限らないが、失ってしまうとそ れがいかに貴重なものであったかが見えてくる。もっとも退院してしまった今となっては 、そのことが忘れさられようとしている。グルメに狂うと誓った私だが、あまり食べ歩き はしていない。もっとも料理のほうはときどき実践している。イズミヤにいって食べ物を あれこれと考えるのは楽しみである。みなさんも料理くらいは自分でできるほうが良いよ 。ところで諸君もいちど入院してみるとよい経験になる。歳をとるまで入院したことがな いと豪語する人もいるが、それはけっしてよいことではない。このごろの人間は死ぬとき には病院の御世話になるものだ。死ぬか生きるかという大変な時に、不慣れな病院生活を 初体験するというのは、よけい大変なものだろう。 入院して痛切に感じたのは、看護婦さんの重労働である。入院患者は老人が圧倒的に多 い。自分でトイレに行けない患者が多いのだ。そういった患者とか、わがままでいうこと を聞かない患者を、いつも元気にニコニコと応対している看護婦さんには、ほんとうに頭 が下がる。しかも深夜勤をふくめた3交代である。若い女性が多いのだが、これではデー トする時間があるのかなと、人事ながら心配になる。いや結婚して子供がある看護婦さん は、さらに大変であろう。彼女たちは天使であるとさえ思えてくる。さまざまな職業があ るが、看護婦さんとか警官、先生(大学は除く)のように、社会を下から支えている仕事 はむくわれなくてはならない。堂島や丸の内でチャラチャラした仕事をして、それで大金 を稼ぐのが夢になっているようだが、そんなことではいけないだろう。