人間はなんのために生きるのであろうか。人間も生物の一種であるのだから、自分自身を 保存し、子孫をふやすことが、究極的な目的であるといえる。自分を保存する、つまり生 き続けるということは、本来は目的というよりは子孫をよりよくふやす手段であろう。し かしながら現代の人間は手段自身を目的としている。つまりいかに幸福に生きるかに関心 が注がれるのである。
それでは幸福とはなにか。基本的には人間の生存条件を保証すること、つまり水や食物 にありつけること、健康であることなどである。水のない砂漠では一杯の水こそが幸福で ある。飢饉の続く大陸では食物にありつけることが幸福である。しかし食べ物にみちあふ れた日本では、逆にやせることが幸福になってしまっている。つまり幸福とはかなり相対 的な概念である。しかしいかに金持ち日本になろうとも、仏教で言う生老病死の不幸はや はり根源的なものである。(もっとも生が不幸の源泉であるという説には、お釈迦様なら ぬわれわれには納得できないなあ。)
不老長寿は古代中国の皇帝でなくとも希うことである。人間は老化のほかに病気や事故 で死ぬ。人間の体を機械にたとえれば、機械の摩滅とか故障のために死ぬのである。機械 であれば修繕や取り替えがきく。人間でもかなりとりかえの利く器官もあるが(例えば入 れ歯などはもっとも簡単な例であろう)、しかし大部分の重要な器官は現在では取り替え が利かない。臓器移植が話題になっているように、将来的にはさらにさまざまな器官の取 り替えが可能になるであろう。
さて人間の器官の中でもっとも重要なものと言えば、それは魂が宿っているともいえる 脳であろう。その他の器官はいってみれば脳の召使なのである。すべて脳が生きるために 奉仕しているといってもよい。ところが皮肉なことに、人間の死因のかなり多くの部分は 脳以外の器官の故障によるものである。ガンは死因の大きな部分を占めるが、脳以外のも のが多い。たとえ脳の病気であっても、脳出血などは脳自体の病気というよりは、そこに あるパイプの破れでしかない。つまり主人であるべき脳は、召使であるさまざまな器官の 死により死んでしまうという、はなはだ皮肉な現象が起きる。
さて私のいいたいことが分かっていただけたものと思う。人間が幸せになるにはサイボー グにならなければならない(唐突な結論だなあ)。体の各器官を修繕の利くものにとりか えるのである。しかし現在の人間ににたサイボーグでは、やはり突然の事故で脳が死んで しまう可能性は多い。そんなに大切な脳であれば、どこか安全なところにしまっておくの がよい)。そこで多くの人の脳を一か所に集めてしまっておく大脳信託銀行というものが できる。もっとも利息はつかないどころか、保管料をとられるであろう。
大脳だけ生きていても楽しくないと思うであろう。やはり楽しい人生をすごさなければ ならない。ところでわれわれの人生とは何であろう。つきつめて考えてみれば情報処理で ある。たとえばおいしいものを食べても、味覚で生じた情報が脳にはこばれて初めて、そ の味が感じられる。美しい景色を見ても、それは神経を伝わる情報となり、脳に伝わって 初めて感じられる。つまりは人間が見ること、聞くこと、感じること、すべて神経をつた わる電気信号に過ぎないのである。そこで銀行にある脳に対して、見たり聞いたりの信号 を送ってやればよい。情報を取得するのは、テレビカメラなどの感覚器官をそなえたロボッ トである。
さて大脳を金庫に保管するといっても、ルパン3世が進入して破壊するかもしれない。 有機的な脳はやはり危険である。そこで脳自体も、取り替え、修繕の利くコンピュータに してしまう。われわれにとって重要なのは、脳それ自体ではなく、そのうえにやどる魂で ある。魂とはいってみればソフトウエアーであるから、それが働くのが有機的脳であれ、 シリコン脳であれ、機能が同じなら同じことだ。
さて人間は情報をえるばかりではない。情報を発信する。それは言葉を発したり、字を 書いたりすることだけではない。その人の容貌なんかも他人に対して、ある視覚情報を発 しているのである。そこで保管された脳なりコンピュータなりは、自分の容貌も含めて他 の脳に対して、情報を発信するのである。つまり脳と脳のネットワークの中をさまざまな 情報が行き来する。現在の人間社会とおなじような社会が実現する。しかも、機会だけの 非常に省エネルギーの社会になるはずである。
しかしこんな社会も偽の情報を発する詐欺のような犯罪もあるであろう。ウイルス・プ ログラムが出回ったりして、病気もあるかもしれない。プロクラム(魂)をデリートされ ると死んでしまう。というわけで、体がなくなったとしても、生老病死の苦悩から逃れる ことはできそうにもないなあ。