先月号に続いてまたまたアーノルド・シュワルツェネッガーの話になるが、正月映画の目 玉ともいうべき「トータル・リコール」を見た。時は火星にすでに人類が植民している未 来である。シュワルツェネッガー扮する建設労働者が毎夜、奇妙な夢を見てうなされる。 火星にいた夢である。あるとき彼はリコール社という会社の宣伝を見る。好きな設定の旅 行をした記憶を機械で頭脳に植えつけるのである。こんなことが可能なら、それは先月号 で述べた仮想現実の一つの実現法であろう。
ともかく彼はスパイとなって火星に潜入するという設定をえらぶ。ところが彼は過去に 火星にいた記憶があり、それがでてきてうまくいかない。リコール社から放り出された彼 は仲間とか見知らぬ人間に襲われて命を狙われるはめになる。襲撃者を倒してようやく家 に逃げ帰った彼はこんどは妻に襲われる。その妻の口から真実を聞き出す。彼は実際は別 の人間であったのだが、記憶を入れ換えられているというのだ。さらに襲撃はしつように 続く。彼はある男から荷物を渡され、そのなかにあるディスプレーに映る本来の彼は、建 設労働者である彼に火星に行くことを勧める。真実を知るために火星に赴いた彼は、執拗 な襲撃を振り切り、火星の独裁者とそれに反対する反乱者の争いに巻き込まれていく。
ともかく話は複雑でどんでんがえしに満ちており、これ以上述べるわけにはいかない。 さらにそんなことをすれば推理小説の最後だけをさきに人に教えるようなもので、悪い趣 味であろう。さて火星には大気がほとんどないのだが、映画の終わり近くになって、火星 に大気を産み出す装置がでてくる。これは惑星改造であってテラ・フォーミングという。 彼と悪者の親分である火星の支配者は争い、その戦いのすえドームの壁が破れて、悪漢は ほとんど気圧がゼロに近い外界に放り出される。そうすると悪漢の顔や目玉はみるみる膨 れあがり、目の玉が飛び出しそうになって死ぬ。主人公と女性協力者もやはり、そのあと 外に放り出されるのであるが、幸いなことに、大気の発生装置が始動を始め、救われると いう話である。さて今回は、この目玉が飛び出る話の科学的考証をしようと思う。
「トータル・リコール」を見たのは12月4日であったのだが、その夜、似たようなテ レビ番組があった。TBSの「宇宙ドラマスペシャル、火星2100年 −もうひとつの 地球−」というドラマである。ちょうど秋山特派員の乗るソユーズがミールにドッキング した日のことである。TBSの宇宙特集の一環である。実は私はこの番組の科学的考証に 関して相談を受けたので、「トータル・リコール」とある意味で状況が似ていることに興 味があった。こちらの話もテラ・フォーミングと火星への植民が話の主題である。210 0年、人類は火星に基地を設けて、そこを植民地に改造することを計画している。(「ト ータル・リコール」ではもう完全に火星に植民しており、この段階は過ぎている。)その 基地で日本人夫婦が子供を作るかどうか悩みながら、結局は子供を生むという話である。 火星で生まれた子供は、火星の重力が地球の3分の1しかないことから、地球に戻ること はできない。火星の重力に適応すると、足が極めて細くなって、地球では体重が3倍にな ったように感じるからである。科学的な問題としては、無重力ないしは弱い重力のもとで 生殖が可能かどうかである。これなどは将来の宇宙時代において重要な問題であろうが、 あまりデータはないはずである。
いろいろ興味ある科学的問題はその外にもあるのだが、ここでは目玉の飛び出る話に限 定しよう。「火星2100年」でも同様なシーンがあった。この話を研究室でしたときに 研究室に来ていた卒業生の嶋くんは「アーサー・C・クラークによると、人間が真空中に 飛び出しても、目玉が飛び出すことはないと言っている」と教えてくれた。実際、クラー クの原作によるSF映画「2001年宇宙の旅」において、ボーマン船長は短時間ではあ るが、宇宙空間に飛び出している。
深海に住む魚を急速に引き上げると、浮袋が破裂するという話がある。また別の海洋映 画では、深海から減圧室を経ずに急に大気圧に引き出された人が破裂する様が描かれてい た。潜水病の原因は、高圧のもとで血液に溶けている窒素が、急に減圧するともはや溶け られなくなり、血液中で気体になることだそうだ。真空中に人間が出ると目玉が飛び出そ うになるというのも、このあたりからきたのであろう。深海と大気圧の差は大きい。いっ ぽう大気圧と真空の差は1気圧でしかない。この程度の差は、海面下10メートルから海 面に一気に浮上した程度である。もっとも、差が問題ならたいしたことはないが、圧力の 比が問題なら1気圧対0気圧は無限大であるから、大問題だ。
液体は圧力が大きく変化しても体積はほとんど変化しない。それにたいして気体は、圧 力と体積の積は一定である(温度が変化しなければ)。だから圧力が下がると膨張する。 クラークの論点は、体の中や目の中に空気のような気体がないのなら、減圧しても膨れる はずはないという点である。目玉も飛び出すはずはない。さて人間が真空中に放り出され たとしよう。回りの圧力はゼロになる。肺の中の空気は1気圧のままとすると、肺の壁と か胸郭、口などに1気圧の圧力がかかる。1気圧は水の柱にして10メートル程度であり けっこう大きい。こんな圧力に肺の壁、胸郭が耐えられるかがまず問題になる。目の後ろ には鼻からくる穴があるから、ここの圧力と外部のゼロ圧力の差で、目玉が飛び出すとい うこともありそうだ。しかし、口から空気を放出しないでいられるかが、問題になる。 そこで口から空気を出してしまえば、肺の中や鼻の奥の圧力はゼロ近くに低下するので 問題はなくなるのではないか。しかし次の問題は血液のような液体の沸騰である。液体は 低圧のもとでは沸騰しやすい。水蒸気で血管が膨れあがって、それこそ映画のようにパン パンに膨れることになるかもしれない。もっともひとたびこうなるともとの気圧にもどっ ても「トータル・リコール」のように助かるということはないのではないか。実際、ソ連 の宇宙船においてバルブの故障で空気がもれて3名の宇宙飛行士が亡くなっている。その ときに体が破裂したのかどうかは知らない。肺や鼻の穴に少しだけ空気を残し、血液の沸 騰を避けることができれば、短時間であればクラークのいうように、真空中を行き来する ことは可能かもしれない。
ところで潜水に関していえば、人間は素潜りでも100メートルも潜れる人がいる。な んと10気圧である。鼓膜がこんな高圧によく耐えられるものだ。鼻の穴だけに水を入れ るということが考えられる。しかしSF映画「アビス」においては、なんと6000メー トルの深海に人間が降下するという話が描かれていた。600気圧である。こんな高圧で はどんな潜水服でももたない。映画ではヘルメットの内部に人工血液をいれて、その液体 で肺を満たす。人工血液は酸素を含んでおり、肺からその酸素を取り入れるというのだ。 実際ねずみではそんなことが可能であるらしいし、映画でもねずみを液体につけるシーン があった。こうすると体内も600気圧になるから体が潰れるということはない。人間も 母の胎内にいるときは羊水のなかに漬かっており、肺は水で満たされている。生まれて「 オギャー」と泣く時に、水が排出されるという。大人ではうまくオギャーといって、肺の 中の液体を排出することが可能かどうか知りたいものだ。