田中角栄的発展か明るい寝たきり生活的省エネ社会か

3月23日に青山のテピアホールで先端企業選職フェアの一環として、 本誌ミューアルファの創刊記念シンポジウムがあり、本誌の連載執筆者 である工業調査会専務取締役の志村幸雄さん、東横学園女子短期大学助 教授でCNNのキャスターも務めておられる高木美也子さん、それに私 が「技術は地球を救えるか?」と題した公開討論を行った。テーマはあ まりに重たいので、はっきりいって結論らしいものはでなかった。討論 のあとで聴衆の一人が私に「結論はどうなんですか?」と聞かれたが、 「救えると期待したい」というような答えしかだせなかった。

 今回はそのときの私のした話をここでまとめてみたい。私はハイテク 小物が大好きである。最近、富士通のノートパソコンのFMR-CARDという ものを買ったので、うれしがってそれを持ってきて、新幹線の中で話の メモを作ったくらいである。講演にはそれを前に広げてメモを見ながら 話するというきざなことをした。さて私はいままでは三洋のノートワー プロES'100というものを使っていた。これは2.1kg と軽く、結構使いや すかったのだが、しかしショルダーバッグにいれてもち歩くには重すぎ る。東芝のダイナブックも使ったが、これは2.7kg とさらに重いのでた まらん。しかもこれらは充電電池で2−3時間しかもたない。その点、 FMR-CARDは990gと軽く、しかも単三乾電池で8時間もつという触れ込み であったので、非常に省エネであると感心して買ったわけだ。

 もっとも現実は、使い方によっては電池があっというまに無くなって しまう。通信のためにRS232Cを使用すると電力を大きく消耗するのであ る。このことが分からずに、私は欠陥品ではないかと思ったくらいだ。 私は情報を求めてパソコン通信のNIFTY にアクセスし、富士通のノート パソコンのフォーラムの書き込みを1000近くも読んで、同様な経験をし ている人がいることを知って安心した。さまざまなモードにおける電力 消費量を事細かに調べた奇特な人もいた。マニュアルはもっと親切に書 いてもらわなければ困る。ところでシンポジウムの後で秋葉原に行った ら、同じ富士通からオアシスポケットという530gのワープロがでている のには驚いた。技術の進歩は速いものである。

 ところで私は省エネの話をしたいのだ。私の本職は宇宙物理学であり 宇宙文明などにも興味を持っている。ソ連のカルダシェフという学者は 宇宙文明を3つのタイプに分類している。1型:母星(太陽)のエネル ギーのほんの一部のみを用いている文明(われわれの文明はこれに対応 する)。2型:母星のまわりをスッポリとダイソン球で覆い、そのエネ ルギーをすべて有効に利用している文明。3型:全銀河のエネルギーを 有効に利用している文明。この分類はエネルギーの消費量と文明度に相 関があるという立場である。しかし私にはこんな考えは、かつての田中 角栄首相の「日本列島改造論」を思わせる。そこでは未来の日本は毎日 50隻のタンカーが運ぶ石油を消費するような文明として描かれていた。 あるときカナダの学者が京大に来て講演した。かれは次のような図を 示した。横軸に国民一人当たりのGNPつまり豊かさ、縦軸に一人あた りのエネルギー消費量をプロットする。すると比較的きれいな相関関係 がえられる。つまり豊かな国民ほど使用エネルギーも多いという関係で ある。しかしプロットは1本の線になっているわけではなく、ばらつき もある。特にカナダは線の上方にずれ、日本は下にずれている。そのカ ナダの学者は口にだしてはいわなかったが、カナダのほうがより文明的 だといわんばかりであった。しかし私はそうは思わない。日本はカナダ より省エネ的である。より少ないエネルギーで同じGNPを生み出すこ とができるのなら、そのほうが文明的には進んでいると思う。

 人類の未来の発展方向として、さらなるエネルギー消費が必要である とすると、さまざまな問題が発生する。石油資源は限られている。石炭 は多いが、煤煙とか炭鉱の事故を考えると問題が多い。たとえそれらが 解決されても、化石燃料の際限のない使用は二酸化炭素による温室効果 を発生させるので大問題である。原子力発電は、これらの問題点はない にしても廃棄物処理に難がある。

先進国はさておいたとしても、発展途上国の国民がすべて日米、カナ ダのような生活水準を要求して、それにみあうエネルギー消費を行うと 地球は完全に破綻してしまうであろう。といって発展途上国の発展をお さえよというのは、先進国のエゴであろう。発展途上国の爆発的な人口 増加は地球危機の原因のひとつである。親一人あたりの子供の数は一人 あたりのGNPと反比例的関係にある。ということは、人口増加を抑え るには、発展途上国の発展を促進するしかないのだ。ここに大きなジレ ンマがある。

 科学技術のもたらした弊害を防ぐのに、単に昔に戻れというスローガ ンでは発展途上国の人々を始めとして多くの人は納得しないであろう。 原子力発電所がいやだから、私はろうそく生活に戻ってもよいという人 もいる。しかし、戦後の貧しい生活を体験してきた私にとって、貧困と はくみとり便所と回虫、しらみとりのために背中にDDTをふきかけら れることに象徴されている。私の文化的生活とはまさに水洗便所に象徴 されているのである。文化的生活と省エネ、省物質をいかに調和させる かが技術者に課された命題であると思う。

 田中角栄的発展の思想は現代科学、哲学にその基礎をおいている。そ れを改めることは、今までのわれわれの近代文明の基礎となった物理学 を主とする科学や、哲学にも影響を及ぼさないではすまない。現代物理 学の基本は物質とエネルギーである。産業革命はエネルギー革命であり その進展に物理学の発展が伴ったのは単なる偶然ではない。20世紀の 最大の進歩はコンピュータの発明であると私は思う。コンピュータを電 子計算機と訳すことは、計算というコンピュータの能力の一面をあらわ すものでしかない。もっともコンピュータという英語も計算するものと いうことだから同じではある。コンピュータは情報を処理する機械なの である。情報という概念は、物質、エネルギーとならんで、この世界を 理解するのに基本的な概念であることを、従来の科学は看過してきた。  物理学帝国主義という言葉がある。物理学があらゆる自然科学の基礎 であるという立場である。20世紀における原子・分子物理、原子核物 理の発展の基礎となった量子力学の成立とともに発生してきた、物理学 者の信念みたいなものである。この立場を標語的にいえば、「量子力学 が分かれば世界のことはすべて分かる」ということだ。私もその洗礼を うけた一員である。湯川博士のノーベル賞受賞にともなう湯川効果(素 粒子物理がもっとも重要な学問であるという信念)は、戦後日本の優秀 な若者を素粒子研究へといざなつた。

 しかしいまや、量子力学に代表されるミクロの物理学が世界のすべて を支配するという考えは虚妄以外のなにものでもないことは明らかだ。 コンピュータを考えてみよう。そのハードウエアはたしかに物理学に支 配されている。しかしコンピュータの上で走るソフトウエアを支配する 法則は既存の物理学とはなんの関係もない。コンピュータを構成する素 子が真空管であろうがトランジスタ、LSIであろうが、はたまたバイ オチップであろうが、そんなことは関係ないのである。ソフトウエアに はそれ自体の法則性があることは明らかだ。情報、ソフトウエア、コン ピュータが実際に巨大な物理的効果を生み出すことは、湾岸戦争で使用 されたハイテク兵器の活躍からもあきらかである。

 情報化の行き着くところの一つが、私がミュアルファの4月創刊号で カリカチュア的に述べた「明るい寝たきり生活」つまり仮想現実の世界 である。多くの物理学者は唯物論者であり、この世界におけるさまざま な物の現実的な実在を信じている。しかしいったい物の実在とはなんで あろうか。たとえば私の前の机が実在するというのはどうして真実か。 それは私が視覚、触覚で机を感じられるからである。しかし夢でも感覚 はある。しかし夢に現れるものは実在とは思わない。それは客観性がな いからである。しかしここにある机の実在は、私だけでなく他人も認め るという客観性がある。私は実在とは、感覚に訴えることと客観性が2 大要素であると思う。しかし仮想現実の世界に現れる物は、この要素が あるにもかかわらず、実体は電子の流れでしかない。ここに哲学に対す る大きな挑戦があると思う。私はむしろ、仮想現実は実在であるとした らどうかと提案したい。仮想現実世界は単なる夢の世界ではなく、実際 に存在する世界であると考えてもよいと思う。この先、こんな思想を展 開していきたい。


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