見た。あの評判の「チャウシェスク・タワー」こと東京都の新都庁舎を。雑誌や新聞で結構評判になっていたので、見に行こうとかねがね話あっていた。東京で研究会があったついでに研究室の院生、卒業生を4人ばかりひきつれて夕暮れの新宿西口をでた。京王プラザホテルあたりから、その偉容が見られたときには感動した。正面にまわって見るとさらに堂々としたものであった。建築設計の目的が人になんらかの意味での感動をあたえるものであるならば、あの設計は成功しているといえよう。あれほど権力的な建物もめずらしい。モスクワにスターリンが建てさせたモスクワ大学、平壌に金日成が建てさせた高層ホテル、それにチャウシェスクの宮殿、これらと並び賞されるべき建築である。あるいは織田信長の安土城などのようにまさに権力を誇示するための建物という意味では現代の城である。
よくいわれることだが、新都庁舎だけにかぎらず、地方の県庁とか役場などの建物もこのような発想で建てられているものが多い。もっとも東京の友人がいうように、東京は世界に冠たる都市であり、その人口はたとえばデンマークの2倍もあるわけで、それにふさわしい都庁舎があって悪いわけではない。私は都民税を払っているわけでもないので、東京都民が納得しているのなら、それはそれでいいわけだ。
雑誌や新聞の写真では、ノートルダム寺院ににたふたつのタワーが印象的である。しかし実際に見ると、写真には写っていない部分が見られ、その威容はなかなか感動的ですらある。新都庁舎はかならず東京タワーにかわって、東京見物にとって必須の名所となるであろう。
ところで正面から見て右手にある高層建築もその異様さではひけをとらない。ごつごつした壁面の構成、上部の壁面が下部の壁面と45度になっている様子など、未来的なイメージにあふれている。このふたつの建物を見て思い出すのは、SF映画「ブレードランナー」に描かれた、酸性雨のふる未来の退廃したロスの高層建築である。あの建物はシド・ミードの構想といわれる。
あの映画にでてくる下町は新宿の歌舞伎町のイメージをもとにしているといわれているので、まさにピッタリといえよう。そのロスでハリソン・フォード扮する刑事が犯罪を犯したレプリカント(アンドロイド)を追うのである。
新都庁舎の裏側には都民広場と称する広場があり、それを取り巻くようにして回廊状に建物がある。これを見て感じたのは、この広場にデモ隊があつまり気勢をあげるところをまわりの建物から一斉射撃するというイメージである。どうも、ルーマニア革命のテレビの影響が強烈に残っているらしい。
正面のバルコニーは下から見上げられると思っていたのだが、建物の下部には張りだした部分があって、近付き過ぎるとよく見えない。あのデッパリはなんだろう。すぐに思いついたのは「ゴジラ除け」ではないかということだ。たしか新宿の高層ビル街はゴジラに襲われたはずだ。ゴジラが新宿を再襲撃したとすれば、まっさきに狙われるであろう。その時、ゴジラが近付いて手で押すことのないように、建物にスカートをつけたのではないだろうか。これは深読みであろうか。
ところでゴジラは身長50メートル、体重2万トンとされている。身長50メートルではビルの高さよりもはるかに小さいので、はたしてゴジラは新都庁舎をこわせるであろうか。さてゴジラの比重はいくらであろうか。身長1.6メートルで体重が50キログラムの人がいるとする。50メートルのゴジラの身長は、この人のほぼ30倍である。この人間を30倍すると、体積は30の3乗、つまり27000倍になる。もし人の比重が同じとすれば、体重は1350トンである。人は水に浮くか浮かないかのギリギリであり比重はほぼ1である。すると2万トンのゴジラの比重は15近くにもなる。ゴジラの体型と人間のそれは同じではないので、上の計算は大ざっぱなものであるが、それにしてもゴジラの比重は10を下ることはないであろう。鉄の塊よりも重いわけで、とても水の上を泳ぐわけにはいかないであろう。しかし映画ではゴジラは泳ぐそうであるが。
ジャンボジェット機の大きさはほぼゴジラと似たものだが、その最大離陸重量は500トン程度である。このあたりを考えてもゴジラは重すぎる。同様にモスラやラドン、キングギドラも現実には空を飛ぶことはできないであろう。たとえゴジラの比重が1であるとしても、問題は残る。ゴジラはそもそも立って歩けるかどうか。先の例でも分かるように身長をn倍すると、足の断面積はnの2乗倍、体重は3乗倍になる。したがって足にかかる荷重はn倍になる。だからゴジラの足には、単位面積あたり人間の場合の30倍の荷重がかかることになる。こんな荷重を有機物質でできた足が支え切れるであろうか。
現在、陸上に住む動物で一番大きいのは象である。もっと大きいくじらは海に住んでいる。さて恐竜は象よりも大きい。しかしブロントザウルスのような恐竜が陸上を歩行することができたかどうかには、問題がある。ゴジラのモデルであるティラノザウルスのような恐竜も同様である。ある人の説では、これらの恐竜の足の関節には力がかかり過ぎて関節炎になったはずだという。まあこのあたりの恐竜まではなんとかなったとしてもゴジラは大きすぎるのである。
この種の相似則の問題は以外と知られていない。たとえばウルトラマンだって、そもそも立つことができるかどうか、よしんば立ったとしてもあのように敏捷に動けるはずはない。ここの私の話は冗談のようであるが、結構、科学的な内容はあるのである。つまり地球の重力の大きさを前提とすると、生物の大きさは限定されるのである。しかし例えば前回にでてきた火星ならば、重力は地球の3分の1であるから、動物の比重が1として、足の荷重をわれわれと同じにすると、3倍の大きさまで許される。たとえば身長6メートルの人間でも可能ということになる。火星は地球より小さいので重力が小さい。だからもっと小さい惑星であれば、さらに大きな生物が可能になるであろう。ウルトラマンも案外そんな星から来たのではないだろうか。
ところがである。小さい惑星はその重力の小ささのゆえに、空気を長期間保持しておくのが難しい。したがってそんな惑星には生命は長続きしないであろう。一方、大きな惑星では生物の大きさは小さくなる。惑星が大きすぎると別の問題がある。木星のような巨大な惑星は、そのまわりにガスを集め過ぎて固体の核のまわりを被ってしまった。だから木星には陸地も海もなく、ただただ気体の固まりである。そんなところにも生命は発生しにくいであろう。つまり生物の大きさにはある一定の限度がある。
これらの議論から英国の宇宙物理学者のリースとカーは、惑星、山、生物の大きさなどは物理定数の値で決まっているとする説を出している。つまり物質の硬さや惑星の重力は物理定数の値で決まっているので、この宇宙にはそれほど途方もない生物はいないというわけだ。はてさて、そうすればSFの夢も制限されるなあ。