私はここしばらく体調が優れなかったから、それまでは毎年夏に行っていたドイツへ行くことができなかった。今年は以前よりはましになったので(といっても完治したわけではないし、完治するはずもない難病ではあるが)、6年ぶりにドイツと英国に家内とともに旅行した。ドイツには、現在は川崎重工につとめている京大時代の元学生の嶋夫妻も同行した。私はいちおう、彼らの仲人なのである。
研究所と空港
ドイツでの訪問先は、ミュンヘンの郊外にあるガルヒンクという村(最近、町に昇格したらしい)の、そのさらに郊外にあるマックス・プランク天体物理学研究所である。そこにはプラズマ研究所、地球外研究所、量子光学研究所といった一群のマックス・プランク研究所と、ヨーロッパ南天文台、ミュンヘン工科大学などが集中するリサーチ・コンプレックスを形成している。マックス・プランク研究所とは、ドイツの一連の国立研究所のことであり、ドイツの基礎研究は大学よりはむしろ、ここで行われている。私と私の京大での学生は、マックス・プランク研究所の何人かのドイツ人研究者と長年、共同研究を続けてきた。ところが私の健康の悪化、神戸大学に異動したことなどのために、この5年間それが途絶えていたのである。
私が行かない間に、ミュンヘンには新空港ができるは、地下鉄がガルヒンクの郊外まで延長されるはと、かなり変わってしまった。こちらも関西新空港ができて、ルフトハンザ航空によるミュンヘン直行便ができた。以前はシンガポール航空、キャセイパシフィック航空でフランクフルトまで行き、そこからミュンヘンへ汽車で行くことが多かった。あるいは英国航空でロンドンに行き、そこからミュンヘンへ飛んだこともあった。ミュンヘン直行便ができて、ずいぶん楽になった。そのミュンヘン行きは7月15日発というのにがらがらであったのは、どういうことだろう。まだよく知られていないのであろうか。
関西新空港はピカピカでとても現代的ではあるが、閑散としており、なにか冷たくよそよそしいので私には伊丹の空港の喧噪のほうが好ましい。そもそも空港まで行くのが、非常に不便で高くなってしまった。ミュンヘン新空港もやはりピカピカで、閑散としており、やはりなにか非人間的な感じがした。どちらの空港もこれぞ近代技術の粋を尽くしたような建築ではあるが。
ホテルとベッド
こちらに来たときは普通は研究所のゲストハウスに泊めてもらう。近いし安いのでとてもよい。しかし今回は、申込みが遅かったし、日本からの客が私を含めて6組もあったので、ゲストハウスには泊まれなかった。ところでここの夏は、日本から避暑兼研究に訪れる日本人研究者で日本人村と化すのである。京大での元助手夫妻も来ていたし、まるで同窓会のようなものであった。さてわれわれはガルヒンクの町のはずれの新築のホテル・コロというのに泊まった。新築でありなかなかきれいなのだが、ホテルというよりはペンションで、朝食の時を除いてはホテルの人がいなくなってしまう。裏のドアの鍵をもらっているのだが、家内と別行動をするので困ったこともあった。
ところでホテルのベッドのスプリングが多少弱く、寝るとお尻が沈下するので、腰が痛くて困った。この問題は、西欧のベッドによくある問題で、われわれ日本人には困った問題である。20年も前に英国に住んでいたときに借りた家のベッドが、このようにスプリングの弱い、かつダブルベッドで閉口した。腰が痛いだけでなく、寝ると夫婦が重力のために自然に近づいてしまい、寝苦しいのである。私は夫婦の愛情とダブルベッドの使用は比例しないと信じるのであるが、西欧人はそうでは考えない。アメリカ人と結婚した日本人女性が、身重のこともあり、あまり苦しいので別のベッドに寝かせて欲しいと夫に頼んだら、「そんなことをいうなら離婚だ」と言われたという。変な話だが、かれらはパートナーが病気でうめいていたり、死にかけていても、ダブルベッドでいっしょに寝るのだろうか。どちらにとっても迷惑だと思うのだが。欧米人に離婚が多いのは、ダブルベッドに寝て、夫婦がいつもいっしょなので、飽きやすくなるからではないかと勘ぐるがどうであろうか。
これとは逆の話もある。小さい子供を持つ日本人夫妻がアメリカで家を借りようとした。子供は小さいのでベッドルームは一つでよいと言ったら、大家は「そんな不道徳な人には家は貸せない」といったという。親子三人、川の字になって寝るのは、アメリカでは不道徳なのであろう。
マックス・プランク研究所での優雅な生活と日本の優雅でない生活
マックス・プランク天体物理学研究所の建物は非常に奇妙な形をしている。言葉で説明するのは難しい。本体が輪のようになり(といっても回転対称ではない)、そこから枝が出ているのである。輪の中心には人々が集う空間があり、居室はそのまわりに配置されている。私は当初、この設計プランを憎悪した。あまり複雑なので、私は自分の部屋に行くのに何度も迷ってしまったからである。何度も来ているのにである。友人の部屋と思ってノックなしに入ったらご婦人の部屋であったこともある。
しかし今では、この建物を愛している。まず第一に飽きないのである。しかも研究第一に考えられている。知的なディスカッションの便宜と、1人静かにこもっての研究の両方に適している。日本の大学の多くは、いわゆる羊羹型の建物である。ということは幾何学的な対称性が高く、部屋の区別がつかないしおもしろくない。団地で別の部屋の住人が部屋を間違えていきなり入ってくるのは、この対称性の高さによる。その点、天体物理学研究所の建物はほとんど対称性というものがない。どの地点もユニークなのである。ここで道に迷うのは、複雑さのためである。しかしいつまでたっても探検の興味が尽きないのである。
研究所は緑に囲まれている。窓を開けると木々と芝生が見え、鳥の鳴き声が聞こえる。(ホテルの窓から隣の家を見るとリスが走っていたりする。もっとも神戸大学のキャンパスもイノシシがいつも徘徊しているから、自然があるという点では同じだ。夜間の下校時には狸にも出くわすのである。)研究所では、当然のこととして教育の義務はない。運営は偉い一部の人が行っているから会議も少ない。研究の時間はたっぷりある。朝10時半ころと昼の3時にはお茶の時間があり、研究者は集まって無駄話や研究上の話をする。とにかく、ここは研究しかすることがないのである。正に研究者の天国である。
日本の大学の教授には教育、研究、雑用(大学、教室、研究室運営の仕事とか、研究費獲得)という3つの大きな仕事がある。このなかで教育、雑用の占める時間の割合は大きい。いやほとんどがこれである。したがって研究に割く時間は(上に行けば行くほど)少ない。だから研究ができない、という言い訳ができる。しかしマックス・プランク研究所では、この種の言い訳ができないのである。研究者にとっては、ある意味では辛いところでもある。研究ができなければ、それは無能だからだと思われてしまうのである。日本の大学の教授は、その忙しさに感謝すべきである。
このことは皮肉で言っている面もあるが、心底そう思うこともあるのである。私が京大の工学部に助教授としていたときは、工学部の封建的な体質のせいで、権限というものがほとんど与えられていなかった。だから教授たちにいつも腹を立てていたのである。無能なくせに、威張ってばかりいると。脳死状態の教授などという週刊誌の記事(院生の告発記事)などを読んでは、溜飲を下げていた。
しかし一方、助教授が権限がないと言うことは、教育、雑用という重荷から解放されていたということも意味する。(ここでいう教育とは、学部にたいするものである。大学院に対する教育と、自分の研究を分離することはできない。)だから自分の時間はほとんど、院生の教育(それは即、自分の研究でもある)、院生とのつきあいに費やした。当時の私の最大の楽しみは、土曜日に院生を集めて、百万遍の北の「むさし」という飲み屋にいって、みんなで教授の悪口を言い合うことであった。だいたいサラリーマンにとって、酒の肴の最たるものは上司の悪口である。また院生を自宅に集めて、ビデオ鑑賞会をよく催した。ともかく院生とのつきあいは濃密で家族的で、その結果、教授を差し置いて卒業生の仲人はほとんど私がした。ほんとうは教授が父親で、助教授は女房役に徹すべきなのであろうが、私は性格上、女房役に徹することができない。研究室では、昨今の家庭同様、父親の姿は薄いだけでなく、憎まれていたのである。たまに父親風を吹かすから悪いのである。 ところが教授として神戸大学に異動すると、権限が大きくなった分、自分の時間が激減したのである。しかも神戸大学はイノシシのでる山の上にあり、近くに飲み屋がないのである。その分、院生とのつきあいは希薄にならざるを得ない。もっともビデオ鑑賞会だけは、研究室で行っている。ところで私の助教授はできた人で、女房役に徹している。もっとも彼は前任校の東大の教授連に対する恨みには深いものがあるようだ。無能なくせに威張るというのである。だから私は教授になったにもかかわらず、助教授とともに教授の悪口を言っているのである。
ロンドン
話が脱線してしまった。教授の悪口になると、どうしてもつい興奮してしまうのだ。マックス・プランクに2週間ばかり滞在した後は、ロンドンに飛んだ。ロンドン大学のユニバーシティ・カレッジには、もとの学生というか共同研究者のソレンセン博士(デンマーク人)が講師として奉職している。そこに別の若い元学生で今は日産自動車に勤めている関野君を留学に送り込んだのである。2年近くも従業員を海外の大学に研究生として送り出すとは、日産もなかなか見上げた会社である。だから、その面でけちなトヨタと違って、業績が上がらないのかもしれない。彼が海外の留学先の世話を私に頼んだときに、ロンドンを選んだのは、そこに行ってやろうと考えたことが一つの理由である。もっとも、さらにこれも別の日産社員の元学生の田村君が留学を私に頼んだときは、ドイツのダルムシュタット工科大学を紹介した。田村君はそこで博士号を取っただけでなく、子供までもうけてきたのである。というわけで、今回は同じところはダメというのも、ロンドンを選んだ理由ではある。
私は関野君に、ロンドンに行ったら私が泊まれるだけの大きなフラット(アパート)を借りて欲しいと頼んだ。それに答えて彼は、家賃がなんと24万円もするフラットを借りた。もっとも家賃は会社が出すので問題はない。(日産って立派な会社だなあ。)地下ガレージつき、警備員付きの立派なフラットだ。2寝室あり、バス・トイレもふたつあるので、私たち夫妻が泊まるのに問題はない。関野君の奥さんはわれわれの世話で大変であったろう。もっとも彼の姉さんは英国人と結婚してバーミンガムにいるし、お母さんは開けた人で長期間、英国に滞在するし、というので、この大きなフラットを借りたのは私のためだけではない。
さてロンドンの街だが、これははっきりといってミュンヘンより汚い。英国は総じてドイツより汚く雑然としている。とはいえ、ロンドンはさすがに世界に名だたる大都会で楽しみにも事欠かない。ミュンヘンよりは、はるかに大都会だ。規模で言っても、雰囲気から言ってもミュンヘンは京都に、ロンドンは東京にたとえることができるであろう。ロンドンで出くわしたのは、地下鉄のストである。これが1日どころのさわぎではなく、スケジュール通り、1週間に一度程度の頻度であるのだ。ロンドン滞在中に2度これに出くわした。それも移動日と考えていた日であったので、スケジュールを変更しなければならなかった。また王立郵便のストライキもあった。こんなことでは、英国は今後も着実に没落していくことであろう。しかし、昔の遺産は大きいから、今後50年は大丈夫であろう。
カーディフ
カーディフはウエールズの首都であり、ロンドンの西にある。特急で2時間程度の距離である。ここは私が家内、息子とともに1975年から2年間住んだ、思い出の深い街である。私はウエールズ大学のユニバーシティ・カレッジ・カーディフの応用数学・天文学教室に客員教授として2年間滞在した。友人のネルソン博士がそれ以前に2年間、日本に滞在しており、彼が帰国後にここの講師の職を得て、私たちを呼んでくれたのだ。かれはスコットランド人でとても情に厚く、非常に親切にしてもらった。今回の訪問でも、かれは手厚くわれわれをもてなしてくれた。
現在は大学の組織も建物も変わって、彼は物理学・天文学教室の上級講師をしている。そこにはやはり東北大学に2年間滞在したフィリプ博士もおり、かれの日本語はなかなかのものであった。フィリプ博士によると日本の大学の研究室は、ひとつの家族のようなものであるが、英国では違うという。指導教官と院生は1対1の関係で、院生同士の関係は希薄であるという。ネルソン博士は日本流の研究室を作ることを目指して、3人の院生を大事にしているようであった。(ところで私と助教授には、あわせて12人の院生と2人の研究生、4人の4回生がいる。)
カーディフの街もかなり変わった。街の目抜き通りが歩行者天国になり、そこでは私たちの滞在期間中ずっとお祭りが行われていた。カーディフ市の方針で、観光客を呼ぶためであるという。私たちのホテルはその目抜き通りの近くにあり、真夜中に若者たちの奇声で目を覚ましたこともある。街を歩くととても楽しい。大学も中心街から歩いて5分である。ネルソン博士は私たちを、再開発された港地区に案内してくれた。そこには立派な科学博物館ができていた。閉館間際であったので、ネルソン博士が日本から来た教授を案内しているというと、学生アルバイトはただでいれてくれた。館内は子供たちであふれかえっていたが、とてもたのしい科学博物館であった。どの機械も子供たちがいじって遊ぶように工夫されているのである。私にもとても興味深い装置がいくつもあった。日本にも類したものはあるであろうが、これほどのものは知らない。
ダートムーアと林檎の樹
カーディフからロンドンの関野君の家に戻って、今度は4人で2泊3日のドライブ旅行に出かけることにした。行き先はデボン州のダートムーアである。デボン州とは地図でいうと左下のほうのとがったところである(一番先はコンウオール州でその手前)。ムーアとはヒースという喬木のはえた荒原のことをいう。ダートムーアは英国で一番大きいムーアで、国立公園になっている。シャーロック・ホームズが主人公の推理小説「バスカビル家の犬」はここが舞台である。ダートムーアの中心にはプリンスタウンという村があり、そこには有名な刑務所がある。そこからの脱獄囚が犬に殺されることが「バスカビィル家の犬」に出ている。小説では陰鬱な荒原という主題で貫かれている。
私がここに行きたいと思ったのは、もう35年も前のことである。私の高校時代の英語の教科書に「ジ・アップル・ツリー」というものがあった(邦訳「林檎の樹」、ジョン・ゴールズワージー作、新潮文庫)。これに非常な感銘を受けたので、是非ともその舞台が見たかったのである。20年前の英国滞在中には、残念ながら行く機会がなかった。今という機会を失しては、生きている間に行けるかどうかあやしいと思って、関野君に自動車を運転してもらうことを頼んだのである。話は20世紀初頭のダートムーアを舞台にした都会の青年と田舎の少女の美しくもはかない恋の物語である。ゴールズワージーは英国のノーベル賞作家で、漱石の「我が輩は猫である」にもガルスウオーシーとして登場する。この小説は「サマーストーリー」として映画化もされている(原作と少し違うが)。帰国後に研究室のビデオ鑑賞会でこれを上映したら、横に座っていた女子学生の目が潤んでいた。風景も美しいし音楽も美しいので、ビデオレンタルにあれば、ロマンチックな恋にあこがれる女子学生には勧められる。ただ私のような思い入れがないと、感動するかどうかは保証しないが。
ところで私の研究室には、林さんという、会社をすでに定年退職した人が研究生としている。彼に「林檎の樹」の話をしたら、なんと彼の京大時代(40年前)の英語の教科書がそれだという。彼はぼろぼろになった英語の教科書を持ってきてくれた。読み返してみたが、文学作品であり英語の表現が結構難しく、よくこんな本を高校の教科書に使ったなと思った。あのとき先生は、学生に訳をさせたが、さすがに濡れ場の所だけは高校生では当惑すると考えられたのであろうか、自分で訳されたことを覚えている。(小説では昔のことでもあり、映画と異なって愛情シーンは非常に控えめである。)
話の筋はこうだ。大学を卒業したばかりの、都会の青年アシャースト(映画ではアシュトン)とガートンがダートムーアを徒歩旅行する。足を痛めたアシャーストは歩くことができずに、そこで美しい17才の少女メガンに会って助けを求める。メガンは彼らを叔母の家に案内する。ガートンは翌日に立ってしまうが、アシャーストは足の治るまで滞在する。その間にアシャーストとメガンは恋に陥り、結婚を約束する。(小説と映画では異なる)ある理由でアシャーストは、お金を引き出すために、メガンにはすぐに戻ってくると言って、海岸の街トーキイにでかける。トーキイでアシャーストは旧友のハリデイに出会う。ハリデイは美しい17才の妹ステラと、さらにふたりの小さなかわいい妹を連れて、トーキイに休暇に来ていたのだ。アシャーストはメガンのところに戻らねばと思いながら、ハリデイ一家との楽しい生活にうつつを抜かす。アシャーストとメガンでは身分が違う。ステラとは似合いだ。(実際、英国の身分感覚は現在でも大変なもので、日本人からは想像もつかない。)メガンはアシャーストを探しにトーキイにまでやってくる。アシャーストは彼女を見つけながら、ついに声を掛けることはしなかった。アシャーストとステラは翌年、結婚する。26年後(映画では18年後)アシャーストとステラはダートムーアに戻ってくる。そこでアシャーストは道ばたの墓を発見する。それはメガンが自殺した(映画では子供を産んで死んだ)墓なのであった。
西欧の休暇、日本の休暇
われわれはM4のモーターウエーを通ってまずブリストル近郊に行き、そこでM5に乗り換えてダートムーアに向かった。ところで英国の高速道路は日本と違ってただであるし、とても快適だ。それはドイツも同じ事である。M5は南のエクゼター、トーキイの方向に向かう休暇客でいっぱいであったので、途中から細い道に入った。そこでとてつもない細い道に迷い込んだりもしたが、夕方までにはダートムーアの北端の街オークハンプトンに到着した。観光案内所に立ち寄り、その日の宿を求めた。 英国には日本の民宿に相当するベッド・アンド・ブレックファースト(BB)がたくさんある。われわれのとまったところは、1泊2人朝食付きで46ポンドであるから、8000円弱である。しかしそのBBにはプールもあり、その横には立派なガラス張りのラウンジがあり、われわれの部屋には子供用のベッドまであった。もちろんバストイレ付きである。そこでいっしょになった英国人夫妻は2週間そこに滞在しているという。
このように同じ所に長期に滞在するのが、西欧人の休暇の過ごし方である。それに対して日本人の休暇は短期間であり、かつあちこち観光に行きまくるというやり方である。その差は、性格的なことにもよるが、やはり値段の問題であろう。西欧人の休暇は日本人の8倍の長さであるが、値段は8分の1であるので、かかる費用は同じという説がある。たしかに、われわれが次の日に宿泊したBBは、36ポンド6000円強であった。このように西欧ではとても安く、休暇を過ごすことができる。(参考のために、昨年、一昨年、私たち夫妻が滋賀県のホテルで2泊したときの費用は8−9万円であった。)もちろん西欧でも高いホテルは高い。ヒースロー空港で泊まったホリデイインは120ポンドであった。ここで重要な差は、西欧では安く泊まろうと思えばいくらでも安く泊まれるという事である。関野君たちは後にスコットランドに自動車旅行したそうだが、その場合はBBにすらとまらずに、テントを持っていってキャンピングしたという。キャンプサイトには水洗トイレがあり、シャワーがあり、洗濯機まである場合があり、それで6−8ポンド、1000−1300円程度だという。これなら1ヶ月の旅行をしても宿泊費は4万円にしかならない。
ダートムーアの旅
ダートムーアは一辺が50キロメートルほどもある、小高い地域で、そこにはほとんど木が生えていない。ヒースなどの喬木や芝生のような植物だけが生えている。所々にはトーとよばれる小高い岩山がある。それ以外はただただ、うねうねと高くなったり低くなったりで、何とも言えない荒涼とした光景である。ダートムーアの中心部は農業には全く適していないので、羊や牛、それにポニーとよばれる仔馬が飼われている。実際、ダートムーアを横切る道路を車で走ると、羊が道路を占拠していたりして危ないことがある。オークハンプトンはダートムーアの北辺の街で、ダートムーアのそのあたりは英国陸軍の射撃場になっている。土日には演習はないと言うから行ったが、たしかに軍の施設があった。次の日には、道路を戦車をつんだトラックがのろのろと走っているので、追い越すのに苦労した。
翌日にはダートムーアの西の縁を通って南下し、リドフォードの城を見て、ブレントーの小高い丘の上の教会に上った。人はよくもこんな、へんぴなところに教会を造るものである。ダートムーアは日本の観光書にはあまり取り上げられていないようで、日本人観光客の姿はない。ここにきた日本人は我々だけかと思ったら、丘の上の無人の教会の名簿に日本人の名前を見つけて、がっくりした。さらに南下してタビストックの街に入り、そこの観光案内所で今夜の宿を求めた。ダートムーアのど真ん中のポストブリッジの集落のはずれの農家がそれだ。ポストブリッジは集落と行っても、家が数軒あるだけだ。さらにそのはずれの農場の真ん中にある農家である。農家の二階の二部屋を改造して客室にしてある。私が感心したことは、こんなど田舎の農家なのに、水洗トイレがあり、バスがあるのだ。これぞまさしく、文明であると感心した。いやー、英国は文明国である。大阪の周辺部ではまだ水洗になってないところもあるときく。
宿に荷物をおいただけで、われわれはあわただしく出発した。まずは刑務所で名高いプリンスタウンに行って、そこのパブで食事した。それからダートムーアの中を南下して、さまざまな名所を見た後に、ダートムーアを出て、トーキイへ向かった。トーキイは「林檎の樹」でも述べられているように、海岸の保養地である。地元では英国のリビエラと称しているようで、正にそのような趣であった。トーキイへ行きたいと宿で言ったら、「あそこは、忙しいところだ」といわれた。正にその通り、ダートムーアとちがって人、人、人である。正に芋の子を洗うような混雑であった。海岸は日本の白砂青松とはほど遠く、泥の海岸と言うべきであろう。しかし人々はそこで泳ぎ戯れていた。そこで早々にトーキイを後にして帰途についた。途中ボービートレイシーで食事をした。映画「サマーストーリー」ではアシュトンはここから汽車に乗ってトーキイに行ったが、現在は鉄道はないようである。
ポストブリッジの宿は農家だから、牛、馬、鶏、それに犬、猫も飼っている。このなかで家内は犬がすっかり気に入ったようだ。愛想の良い雄のゴールデンリトリバー犬である。 雌もいるそうで、先週までは子犬が6匹もいたという。ブリーディングをしているのであろう。翌朝にわれわれは犬をつれて、農家の回りの散歩に出かけた。犬が案内してくれるのである。放牧地を横切り、川の畔に出て、石橋を渡り、メインの道路に出た。犬はその道路沿いにどんどん行くのだが、私は不安になって、もう帰ろうと犬に行った。犬はとても不満そうであったが、ようやく帰ることに同意した。あとでこのことを宿の女将さんに話すと、道路の向こうに村の観光案内所があって、そこで餌をくれるのだそうだ。犬には気の毒なことをしてしまった。
ところでここの女将もオークハンプトンの宿の主人も、方言ではなくまともな英語を話すので、よく聞くとロンドンから来た脱サラの人たちのようだ。だから関野君とロンドンのあちこちの話で、話が盛り上がっていた。
ロンドンに帰る途中に、20世紀初頭の金持ちが建てた城、ドラコ城を見学した。昔の金持ちはすることの桁がちがう。中世の城を造って、そこで現代的生活を送るというのだから。この一文を読んで、ダートムーアに行きたくなった人もいるだろう。ロンドンから行く場合、汽車ならエクゼターかニュートン・アボット、またはプリマスに行き、そこからバスでダートムーアに行くことができる。あるいはトーキイへ行ってから、行くこともできる。英国には国中に観光案内所が整備され、それにBBもいっぱいあるから、車で行く場合は宿の予約をしていく必要はない。ロンドンとケンブリッジ、ストラトフォードだけが観光名所ではないのである。
なんかまとまりのないエッセイになってしまった。何が言いたいのだと、おっしゃる人もいるかもしれない。みんな言いたいのである。私には書くことはいくらでもあるのである。ところで私は今、「正負のユートピア」という本を、岩波書店の「21世紀問題群ブックスシリーズ」の一環として書いている最中である。締め切りはとっくにすぎた。でもなかなか書けないのである。先日も催促が来た。そのときは秘書に居留守を使わせた。明日学校に行くと、また催促が来るであろう。今度はどんな言い訳を言おうか、といいつつ、このエッセイと巻頭言は一日で書いたのである。こんなことをしているバヤイではないのである。ああ原稿を書かねば。