第2代 松田卓也
アリスというのは言わずとしれた、「不思議の国のアリス」のことである。聖書に次いで、単行本としては世界で第二位の売れ行きを誇るというこの本を、私は今まで読んだことがなかった。たかがおとぎ話、せいぜい少女小説と思っていたし、たまたま教科書でも取り上げられなかったからである。ディズニーのアニメを見たくらいである。 そのアリスに出くわしたのは、今年3、4月に、家内と院生、学生6人をつれて、オックスフォード、ケンブリッジで開かれた国際会議に参加したときのことである。アリスの作者ルイス・キャロルは、本名をチャールズ・ドジソン(1832-1898)という数学者であり、オックスフォードのクライスト・チャーチ・カレッジの講師であった。オックスフォード大学は多数のカレッジからなり、クライスト・チャーチはその中でも大きな由緒あるものである。アリス(1852-1934)はそのカレッジの学長リデル氏の娘で、実在の人物であった。 ところで今年はドジソンがなくなってちょうど百年ということであり、英国では様々な催しが行われている。私たちが立ち寄ったカーディフでは、ルイス・キャロル研究の学会が開かれていた。さきに「不思議の国のアリス」を、子供の読む、たかがおとぎ話といったが、これはとんでもない間違いである。ドジソンやアリスその人、その物語などは、徹底的に研究されており、それで飯を食っている専門の学者は何人もいるのである。いわば「源氏物語」とか「奥の細道」といった本と同様に、古典といえるのである。
アリスとの出会い
私たちは彼らの住んだ古めかしいクライスト・チャーチを見学して、感激した。英国の大学、とくにオックスフォードとケンブリッジは、日本で言えば東大、京大に相当するのだが、その建物とか立地、環境といったものは、日本の大学とは比べものにならない。各カレッジには大きな古い建物と庭園があり、大学全体の庭園、ボート遊びのできる川、植物園、博物館などがあり、とても豊かな環境であることに圧倒された。
そのクライスト・チャーチの前に「アリスの店」という土産物屋がある。経営者の奥さんは日本人女性であり、日本の女性の客が多いという。家内がその店に立ち寄り、ドジソンとアリス姉妹の交友を描いた本を買ってきた。私は会議の後、ホテルの部屋でそれを読んで、アリスとドジソンに興味をそそられた。その後、ケンブリッジに行ったときに、「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」の合本、それにドジソンについての本を買った。そして旅の間に、「不思議の国のアリス」を全部読んだ。さらに日本へ帰る直前のヒースロー空港で、お子さま向きのアリスの簡約本と、それをテープに吹き込んだものを買った。
日本に帰ってから、私はそれを、自分の研究室の学部4回生と修士1回生を対象にしている英語ゼミで、教本として使用した。それらを対訳させるとともに、アリス朗読大会をもよおした。簡約本ではものたりなくなり、完全本の朗読テープを求めた。それらしきものを買ったのだが、それは単語が千語に限定されたもので、完全ではなかった。そしてついに、英国のペンギン・シリーズのテープを梅田の紀伊国屋で発見した。
ところで家内は以前に、アメリカで出版された、とてもきれいな絵が入った「不思議の国のアリス」を持っていた。ケンブリッジで買ったものは、オリジナルな挿し絵のものであったが、やはりカラーの楽しい絵の方がよい。このアリス本は私の座右の書になり、休みになるとあちこちを読みあさっている。そこで一部の、興味を持っている学生を集めて、「アリス研究会」まで組織してしまった。私のアリス狂いはこのように始まったのである。ところで梅田の紀伊国屋に行くと、アリス・コーナーとでもいうところがあり、様々なアリス本が置いてある。当然ながら、高い本の方が美麗である。
アリスとドジソン
リデル夫妻にはたくさんの子供がいたのだが、そのうちの三人の姉妹とドジソンには親密な交流があった。アリスはその三人姉妹の真ん中であり、ドシソンのとくにお気に入りであった。ドジソンという人は、とてもはにかみやで、どもる癖があり、大人の女性とつきあうことを苦痛としていた。そこで子供たち、とくに小さな女の子を好み、彼らとつきあった。子供たちの関心を引くために、ドジソンはさまざまな物語を子供たちに語ったり、手品やパズルなどの遊びを発明して、彼らと遊んだ。ドジソンはリデル氏の家に招かれると、すぐに子供部屋に行き、終日子供たちと遊んだ。だれかが子供部屋に行ってみると、ライオンのまねをしたドジソンがテーブルの下からでてくる始末であった。従って、子供たちもドジソンによくなついた。
ドジソンはアリスたちをボート遊びやピクニックに連れ出すことも多かった。1862年の夏の日、ドジソンとその友人は、アリス三姉妹をテムズ川のボート遊びにつれだした。ボートに乗るやいなや、子供たちは「ドジソンさん、お話をしてちょうだい」と早速ねだった。ドジソンは一日をかけて、アリスを主人公とした不思議な話を物語った。それが「不思議の国のアリス」の原型である。アリス10才、ドジソン30才の時である。アリスはその話を非常に気に入り、それを本にすることをせがんだ。そこでドジソンは始めは手書きで、数年後にはきちんとした本として出版した。それらはアリスにプレゼントされた。
アリスとの別れ
ドジソンとアリスの関係は、その後、悲劇に向かう。アリスとその姉妹が成長するに従い、アリスの母は、ドジソンが娘たちと交際することを好まなくなった。ドジソンは大人の女性が苦手で終生を独身で過ごした人である。いかにアリスより20も年長であるとはいえ、独身の男と、うら若い自分の娘が、無邪気に交際することを、好まなかったようだ。そしてついにある日、交際を禁止してしまった。その定かな理由は、いまだに明らかではない。研究者は様々な憶測をしている。ドジソンは日記を残している。ところが当該の日のページが破られているのである。それはたぶん、後年にドジソンの甥か姪が、ドジソンの名誉を守るために破り去ったのだろうと言われている。ドジソンはその後も、多数の少女の友達を持った。しかしアリスこそが、ドジソンの終生の最高のお気に入りであったろうと推測されている。
リデル夫人が交際を禁じた、推測できる理由のひとつとして、写真がある。当時は写真術が発明されたばかりであった。ドジソンは写真に非常な興味を持ち、写真を撮りまくった。ドジソンは、数学者、文学者のほかに初期の写真家としても位置づけられている。アリス姉妹の写真も多く残されている。アリスの写真は4才の時からある。当時の写真は、露光に42秒かかったので、あまり小さな子供はじっとしていることができず、撮影できなかったのである。写真で見るアリスは実にかわいい。姉も妹もかわいい。ドジソンが好んだのも当然といえよう。大人になったアリスは実に美人である。
少女のヌード写真
ところが、ここが後年の物議をかもすところなのだが、ドジソンが撮った多数の少女の写真のなかに、ヌード写真も混じっているのである。現代的な常識の持ち主は、それからすぐにドジソンはロリコンであったと、結論してしまう。つまり少女たちに性的な関心を抱いていたのだと。私の推論では、ドジソンはアリスのヌード写真を撮ろうとして、リデル夫人に厳しく拒否されたのではないかと思っている。
しかし研究者はドジソンに同情的である。1)少女のヌードを撮ったといっても、当人と親の承諾を得たものであり、撮影時には母か、その他の大人が必ずいた。2)子供がいやがってはいず、自発的に脱いだ。3)ドジソンは敬虔なキリスト教徒であり、いわゆる変なことは考えないか、考えても実行できない。4)ここが重要だと思うが、ドジソンは写真術を芸術たらしめようとした。絵画や彫刻などの芸術にあっては、女性の裸体画、裸体像は当然である。したがって、芸術写真ではヌードが必須である。しかしドジソンは大人の女性のヌードを撮ることはできなかった。そこで少女を代替に使ったのではないか。5)ドジソンの撮った写真の少女は、みんなまだ乳房が膨らむ以前の、子供である。従って、性的関心の対象外にある(もっとも、そんな少女のみを好むロリコンがいるという反論も聞こえそうだが。)ともかく、ドジソンを現代的な物差しで測って、ロリコンの一言で片づけるべきではないと思う。
ドジソンは少女たちがやがて成長、成熟して淑女になっていくのを憂えている。私から見れば、この心情もよく分かる。子猫は何にでも興味を持ち、ちょっとからかうと必死で飛びついてくる。しかし成長した猫は、フンとばかり顔を背け、からかいに興味を示さない。それと同様に、思春期以前の少女たちは、ドジソンのするお話や、クイズ、パズルに非常な興味を示した。しかし、色気のでてきた少女には、そんなものは興味の対象外となっていくのである。これがドジソンの悲しみであった。
アリスのその後
成長したアリスは、クライスト・チャーチの学生であった、ビクトリア女王の息子、つまり王子と恋に陥る。王子はとても聡明な人物であった。アリスは学長の美しい娘。いいカップルである。「不思議の国のアリス」のおかげで、とても有名になっていたアリスではあるが、王子と平民のアリスの結婚を女王は許さなかった。そこでアリスは平凡な金持ちの息子と結婚した。80才でアメリカを訪問したときは、メディアに引っ張りだこになった。当時のニュース映画を、私はNHKの番組で見た。アリスは、年をとっても上品で美しいおばあさんであった。アリスは82才で死んだ。一方ドジソンは、結婚もせず一生をクライスト・チャーチで過ごした。「不思議の国のアリス」の成功に触発され、「鏡の国のアリス」を始め、様々な作品を生むが、不思議の国ほどの成功は得られていない。また数学の本も何冊か出版している。1898年に65才で亡くなっている。
アリスのおもしろさ
「不思議の国のアリス」その話の筋は次のようなものだ。時は5月、土手で本を読んでいる姉さんのそばにいたアリスのそばを、チョッキを着た白兎が走りすぎる。時計を取り出して「たいへんだ、たいへんだ、遅刻しそうだ!」といって、ウサギ穴に飛び込む。アリスはその後を追いかけて穴にはいると、突然、井戸のような垂直の穴に落ち込む。このようにしてアリスは地下の国にたどり着く。
地下の国ではネズミ、ドードー、とかげ、いもむし、公爵夫人、チェシャネコ、狂った帽子屋、三月ウサギ、眠りネズミ、ハートの女王と王、グリフォン、ウミガメもどき、といった奇妙な人物や生き物に出会う。彼らにまともなものはいない。チェシャネコがいうように、みんな狂っているか、どこかおかしいのである。まともな精神の持ち主はアリスだけである。その中でアリスは幼い少女とは思えぬ、けなげさを発揮する。
その中の白眉は、ハートの女王との出会いのシーンだ。赤いバラのかわりに間違って白いバラを植えたトランプの園丁たちが、白いバラに赤いペンキを塗っているところに、アリスは出くわす。その説明を聞いていたときに、女王の行列がやって来る。女王はアリスを見て「なんという名前だ、そこの子供」と訊ねる。「アリスともうします、女王陛下」と表向きは丁寧に返事するが、内心は「なによ、たかがトランプのカードのくせして、怖いことなんかないわ」と思う。女王は園丁を指して「じゃ、そこにいるのはだれだ?」とアリスに聞く。それに対して「分かりっこないでしょう、私の知ったこっちゃないわ」と、驚くべき暴言を吐く。女王は真っ赤になり、怒って「この子の首を切れ、首を!」という。それに対してアリスは、大声できっぱりと「ナンセンス!」と叫び、女王を黙らせてしまう。
「ナンセンス!」、なんと懐かしい言葉だろう。60年代末の大学紛争の時に、大学封鎖をしていた、いわゆる暴力学生たちは、教官たちと議論して、論理的に勝てない場合は、「ナンセンス!」と叫ぶことで、相手を黙らせた。いわゆる言葉の暴力というやつだ。アリスからこんな言葉を聞こうとは思わなかった。暴力学生はアリスを読んでいたのであろうか。
「不思議の国のアリス」を読んだ人は多いであろう。しかし英語で読んだ人は少ないのではないだろうか。この本は、英語で読まないと、その真のおもしろさは分からない。というのは、全体を通じて言葉遊び、駄洒落に満ちているからだ。かけことばが多いので、これを日本語に翻訳するのは至難の業と思える。訳本を一冊(「不思議の国のアリス」矢川澄子訳、新潮文庫)読んでみた。なかなか上手に訳しているとは思った。しかし、当然ではあるが、かけ言葉を完全には訳し切れていないところも多かった。
アリスを読もう
さてここまで読んだ諸君は、当然アリスの原本を読みたくなったであろう。その場合、京都なら丸善、大阪なら紀伊国屋に走ろう。私の学生が神戸で買ったアリスの洋書で、最低の値段のものは、なんと三百円であった。そんなに安い本には、私は出くわしていない。だいたい千円程度というところだ。家内の豪華本は5千円もするし、紀伊国屋では8千円の豪華本を売っていた。さてあなたならどうする。