平成14年大和巻頭言

腰痛、ストレッチ、筋トレ

はじめに

みなさんは立って前屈して、手のひらが床に着くだろうか。あるいは脚を交差して膝が曲がらないように立ち、前屈しながら、床に落ちている硬貨を何枚拾えるだろうか。現役の諸君の体が柔軟なことは当然であるが、今は運動から遠ざかっている先輩諸氏の中には、体がすっかり固くなってしまっている人も多いに違いない。体の柔軟度は若さのバロメーターである。私はもちろん手のひらが床に着く。これはやってみると実に簡単なことで、ストレッチを少しすれば、体は驚くほど曲がるようになるのである。体の柔軟性は、スポーツではケガ防止に重要であり、また腰痛防止にも重要である。本稿では私が昨今調査研究した知見を元に、腰痛と、それを防止するためのストレッチと筋トレについて述べる。これは先輩諸氏に役に立つであろう。また運動生理学の知見は現役諸君にも益するものと確信する。

腰痛、膝痛に関する万巻の書物

私がこの問題に興味を持ったのは、家の本棚で腰痛と膝痛に関する本を6冊も見つけたことだった。すべて家内が買い込んだものだ。家内はバレリーナであり、現在もバレエを子供たちに教えている。体は驚くほど柔軟で、相撲のいわゆる股割りもできた。ところがその柔軟性が逆に仇になり、変形性股関節症になった。この原稿を書いている時点では、入院中で人口股関節を入れる手術を待っている。家内はここ十年来、まず膝痛から始まり、つぎに股関節に来て、歩くにも不自由な状態が続いていた。私が考えた理由は、バレエのしすぎで膝と股関節を酷使したからであろう。

しかし医者によると、家内は女性ホルモンが過多で、女らしい反面、股関節が過度に柔軟で、そのために股関節を痛めたのだという。膝はむしろ副次的な効果だそうだ。家内は体が不自由になって以来、ありとあらゆる療法を試し、本を買い、筋トレやストレッチの器具を購入した。もっともそれらはほとんど使用されていず、私が使用することになるのだが。ともかく、行き着いたところは手術である。これが吉と出るか凶とでるかは、今後に待たねばならない。しかし、今年の夏、ロシアで出会ったロシア人の教授夫人は同じ手術をして、すっかり良くなったと言っていた。教授は「家内の人工股関節はアメリカ製です」と誇らしげに語っていた。

話が脱線してしまった。私は腰痛、膝痛の本を全部読んでみた。そして本屋でさらに多くの本も立ち読みしてみた。私が特に腰痛に悩まされているというわけではなく、知的好奇心のなせる技である。私は何でも凝る方だから。腰痛の本は実に多い。ガンの本に次いで多いように感じる。それは腰痛に悩まされている人が多いことと、西洋医学で抜本的に改善するわけではないからである。西洋医学でドンピシャリ治るような病気の本は少ない。たとえば感染症や伝染病の本などほとんどない。

西洋医学で簡単に治らない病気に関しては、代替医療や民間療法の本が実に多い。腰痛関係の本の著者は、医者と整体師などの民間療法家に分けられる。後者の本には、もっともらしいものも怪しげなものもある。医者の本は腰痛の原因をたくさんあげて、科学的な説明がなされているのだが、それでは医者にかかると腰痛が快癒するかというとそうでもないらしい。一方、民間療法の方は、理屈は一方的なものが多く、思いこみが多いが、しかし治るという実績がある。だいたい、西洋医学に限らず代替医療、民間療法を含めてどんな療法でも完璧なものはないし、かといって、全然効果のないものもない。代替医療で治るのも、心理的なプラシーボ効果も無視でき
ないからである。


前屈がすべて

たくさんの腰痛の本を読んで分かってきたことは、手術を要するような腰痛は少なく、なんとなく腰が痛いというのが大多数だということだ。これに関しては西洋医学も民間療法も五十歩百歩である。何となく腰が痛いことの原因は、要するに脊柱を支える筋肉の疲労である。これを治すのに、指圧、マッサージ、鍼灸、整体術、カイロプラクティック、これらすべてに一定の効果がある。しかし、決して完治しない。なぜならそれらは筋肉疲労を癒しはするが、原因を絶っていないからである。筋肉疲労をいくら治しても、筋肉が弱くてはまた疲労し、腰痛が再発するのは必定だからである。つまり腰痛を絶つには筋肉を鍛えるしかないのである。

民間療法で興味があったのは「自力整体」の本である。その著者によれば、腰痛や体のこりは筋肉の「ちぢみ」「ゆがみ」「ゆるみ」に原因があるという。「ちぢみ」とは筋肉の拘縮とか疲労である。「ゆがみ」とは筋肉の左右、前後の発達のアンバランスからくる体の左右、前後へのゆがみである。「ゆるみ」とは筋力低下である。それらを治すために提案された体操は、「ちぢみ」を治すために自己指圧を行い、「ゆがみ」を治すためにストレッチを行い、「ゆるみ」を治すために筋トレを行う。

著者によると、骨盤のゆがみが諸悪の根元で、そのために背骨が左右に湾曲して、背中や首のこりを誘発するという。それを治すためにはストレッチ、特に前屈して大腿部背面の筋肉、ハムストリングスを伸ばすストレッチ体操が重視される。腰部の背骨の前湾が強いと腰痛になる。それを防ぐには、正しい姿勢をとることが必要で、そのためには腹筋、背筋、さらには臀筋や大腿部の筋肉を強化する必要がある。要するに腰痛や体の様々なこりを解消するには、「ちぢみ」を解消する指圧やマッサージだけでは不十分で、ストレッチと筋トレが絶対必要であると主張している。

元阪神軍のトレーナーをしていた中川という著者の主張は、腰痛にはまず前屈というものだ。真っ直ぐに立つこともできない患者をストレッチベンチと称する台に乗せて、徹底的に前屈させて治すというのである。理屈はともあれ、治るのだそうだ。医者は理屈ばかり述べるが、腰痛に関しての治療実績は民間療法家より良いと言うことはない。いずれにせよ、腰痛にはストレッチと筋トレという言葉がキーワードのようだ。

ストレッチ

そこで私は腰痛から離れてストレッチについての研究を始めた。ストレッチは60年代に提唱され、70年代にブームになり、今やスポーツ界では定着している。ゴルフの中島の成績が低迷していたが、弟子のトレーナーの勧めで、徹底的なストレッチ運動をすることにより返り咲いたという記事が日経新聞に載っていた。

ストレッチとは、筋肉を引き延ばすことである。そのやり方には静的ストレッチ、バリスティックストレッチ、動的ストレッチなどがある。静的ストレッチとは、筋肉をゆっくりと伸ばす、いわゆる普通のストレッチである。バリスティック・ストレッチとはラジオ体操に見られるように、勢いをつけて行うストレッチである。ラジオ体操程度ならともかく、勢いをつけて行うストレッチは危険であるからすべきでないというのが、最近の常識になっている。伸ばしすぎて筋肉を痛める危険があるからだ。ストレッチで重要なことは、@ゆっくりと行う、A痛くない程度に止める、B伸ばした状態を20−30秒間保つ、Cどの筋肉を伸ばしているかを意識する、といったことだ。

ストレッチは体を柔軟にすること、関節の可動域を増大させることである。スポーツによっては体の柔軟性が重要でないものもあるが、武道では絶対に必要である。体が柔軟な方がケガをしにくいからである。受け身を取るときに、体が柔らかい方がよいか、固くても良いかを考えれば明らかだろう。相撲取りはあんなに巨大な体をしているが、股割を見ても分かるように、体の柔軟性は驚くべきものだ。そのように訓練しているのである。つまり相撲ではストレッチの重要性を経験的に学んできたということである。

優れたスポーツ選手の筋肉は柔らかい。一方、運動したことがない、凝り性の人の筋肉はカチカチである。指圧やマッサージはやりすぎるとむしろ筋肉は固くなる。これを治すには、徹底的にストレッチするしかない。じわりじわりと筋肉を引き延ばすことによって、さび付いた筋肉を元に戻すのである。

体は、朝は固く、夜は柔らかい。体が温まっていると柔らかく、冷たいと固い。運動すると筋肉は固くなる。ストレッチをするには、風呂上がりなどがよいであろう。私は毎朝、起きて、シャワーを浴びた後でやっている。またスポーツの前後にストレッチすることも重要である。

昔の常識は今の非常識

余談になるが、スポーツに関しての昔の常識と今の常識が異なっているものが多いことに注意しよう。@今述べたように、勢いをつけたストレッチ体操は良くないということ。A膝を大事にすること。昔、我々がよくしたような「ウサギ跳び」などは厳禁である。膝は痛めると回復が困難だからだ。B腰を大事にすること。腹筋運動でも、脚を伸ばしてやるのは腰に負担がかかるので、脚は必ず曲げて行うこと。前屈してから立ち上がるときも、そのまま立つのではなく、膝を曲げたり、体をねじったりして、できるだけ腰に負担がかからないようにすることが推奨されている。C運動の最中は水を飲まないという昔の戒めは、現在のマラソンを見ていればまちがいであることが分かる。D運動後にすぐに休むのではなく、適度な運動でクーリングダウンをすること。そのほうが、疲労回復が早いことが科学的に証明されている。

私の前屈法

始めにのところで書いたのであるが、私の前屈の仕方を教授しよう。まず立って前屈してみよう。手が床に着くかどうかという人も多いだろう。そこでまず左足を真っ直ぐにして、右足は曲げてもよく楽にして、右手を左足の前の床に着けてみよう。そのとき左手で左膝を押さえると、腰への負担が減る。手が床につかなくても良いので、あせらずゆっくりと、体重を掛けて右手を下に徐々に伸ばしていこう。左手を左膝から離せば、体重がかかり、さらに前屈できるだろう。次は左右交代だ。この運動を一分ほどして、再び両手を床に着ける前屈をしてみよう。前よりは曲がるはずだ。
もっと強烈なやり方もある。左右の膝は曲げて前屈して両手を下に伸ばし、両足でその両手を踏む。膝が曲がっているから、これは誰にでもできる。そこで膝を真っ直ぐに伸ばすのだ。ハムストリングに強烈なストレッチ感を感じるはずだ。痛い人は、両手の踏み方を浅くすると良い。そのままの状態で30秒ほど、膝裏を伸ばす。それから前屈してみると、驚くほど曲がるはずである。私はこれをすると、かならず手のひらが床に着く。

筋トレ

次は筋トレの話をしよう。筋トレというと、どうしてもシュワちゃんのような筋肉モリモリマンとか、ボディビルを想像してしまう。私がここで話すのは、そのような筋トレではなく、もっと穏やかなものである。その目的も、中年の腰痛防止、老人の寝たきり防止にある。腰痛防止に筋トレが重要なことはすでに述べた。そこで寝たきり防止について述べる。

老人が寝たきりになる原因の多くは、転倒することによる骨折である。実は家内の母も転倒して、手を骨折した。これが脚の骨折だと、入院ということになり、ベッドに長期間寝かされる。すると筋力が弱り、ますます歩きづらく、転倒しやすくなる。悪循環に陥るのである。

人が転倒しやすくなる原因は脚の筋力の衰えである。さらに詳しく見ると、老人の歩行速度が遅くなるのは、歩くピッチが低下するのではなく、歩幅が減少するからだ。その原因は、太股をあげる筋肉、大腿四頭筋の衰えから来る。また最近分かってきたことは、骨盤の中に隠れている大腰筋の衰えも重要な原因だ。それからつまずきやすくなるのは、足首を上に上げる向こうずねの筋肉が衰えるからである。要するに、転倒防止には下半身の筋力強化が必要だということだ。ムキムキの大胸筋は必要ない。茨城県の大洋村というところで、老人の筋トレプログラムを始めたら、老人医療費が減少したという。

現役の諸君が筋トレするのは当然としても、先輩諸氏は背筋、腹筋、下半身の筋トレを行うことにより、腰痛と寝たきりを防ごう。上半身をムキムキにする必要は全くないし、スポーツジムに通う必要もない。だいたい、過度のスポーツをやった人は身体の故障が多いし、免疫力が低下する。職業的なスポーツマンは、平均余命も短い。ボディビル級の筋トレに励んで、アミノ酸を飲んで、ムキムキの大胸筋を誇る人が、その体とは裏腹に風邪を引きやすいというのは、じつに皮肉な話である。筋トレもスポーツも適度ということが重要なのである。